TEP SFXヒストリー
TEP作品に見る特撮技術の変遷
(文責:宮本拓)


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序章

●今、ついに開かされる、TEPの裏舞台!●

  ご承知の通り、私の作品すなわちTEP作品の多くは特殊視覚効果を見せ場としたものである。
  その昔、円谷英二監督が「特撮は貧乏の生んだ知恵だ」とおっしゃったそうだが、まるでそれを“地”でいくような映画づくりを15年ばかり続けてきた。 これだけやっていると、自分でもホーホーと感心するようなテクニックの開拓、逆に爆笑しそうな大失敗などを幾つも経験することとなり、この15年の歴史はそのまま泣き笑いの歴史だったように思える。
  ここでは、そんな映画づくりの特にSFX関連のエピソードをご紹介したい。

  あまり、お堅い映像ハウツーもの的な読み物は好きではないので、私の書く文章の他の例にもれず資料的な価値は皆無と言い切ってしまうが、このロクデナシ野郎どもが今までイカにしてヘンテコな特撮映画をこしらえてきたのかを、この文章を通していくらかでもご理解いただければ幸いである。
  何せ、私自身が本来特撮マン志望ではなく、単に映画づくりの好きな演出家志望の男で、自分の書くシナリオの映像化に際して特撮が必要になってくる……すなわち、必要に迫られて多少手先が器用なもんだから特撮もやっちゃってるという状態なのである。

  さて、もしもどっかのアマチュアフィルムメイカーが特撮映画づくりを企画して、一般的な特撮のテクニックに関して知識を仕入れたいと思ったならば、各種劇場公開映画のメイキングブックやシネフェックスなどを丹念に読んでみたり、時折開催される「SFX展」などで実際に撮影で使用されたプロップなどを肉眼で見てその内容を確認するのがいちばんだとは思う。
  ただ、それで得られるのは至極客観的な知識だけである。 どんな映像も、知識の吸収だけではなくて“実践”がともなわなければ、良いものは作れない。

  ここでちょいとエラそうに今までの経験から言わせてもらいたいのは、「先入観や固定観念は持たぬほうが賢明」ということである。 劇場用映画でプロが駆使している特殊効果というものは、それなりの訓練と経験を積んだエキスパート達が、彼らにとって仕事がやりやすい環境や道具がそろっているからこそ使えるテクニックなのであって、それとまったく同じことをインディーズもしくはアマチュアでやろうとしても、そのチャレンジ精神はおおいに買いたいとは思うが、結果が良好かと言えば必ずしもそうでない場合が多いように思う。
  つまり「こんな映像が撮りたい」と思ったとき、「昔、円谷さんはこうして撮っていた」とか「川北監督はこうしていた」とか、特撮専門誌を読んで「こんなものを作る時は、ボスフィルムではこの材料を使っているから、そうしなければいけない」だとか……。 「誰それがこーしていたから、そうしなければならない。 それが正しい」という考えは、スッパリ捨てたほうが良いと思う。
  残念ながら、熱心なマニアであればあるほど、この先入観に捕われてしまうことが多いように思う。 特撮に限らず、一般的なドラマであってもプロとアマでは力量の違い以上に“つくる環境”が違うのだから、自分たちに合った「オレ的にはオッケーな環境適合型」の撮影ノウハウを生み出していく必要があると思う。
  自分たちなりの方法を模索するというのは極めて難しいことではあるけれど、同時にそれが自主製作映画の醍醐味、楽しみでもあるのだ。 「誰それはこーした」ではなく、「オレたちはこーした! 」という方法を編み出していく作業は、映像を愛する人間にとっては結構至福のひとときだったりするのである。 そして、自分たちで編み出した技法や経験の積み重ねは、何物にも代えがたい“宝物”なのである。

  このコラムでは、お粗末ながらも我々が蓄えてきた“宝物”の一部をご紹介していくつもりである。 マヌケな失敗もつつみ隠さず書くつもりなので、とりあえずはご笑覧いただきたい。

  ※このコラムでは、各作品の主に特撮にまつわるエピソードを簡単に紹介していこうと考えている。 詳しい作品内容に関しては、別項の作品紹介覧を参照されたい。 また新作に属する『砂丘の残像』に関しては、別項の『メイキング・オブ・砂丘の残像』に詳しい。 




『巨獣戦線』

(1983年作品)

  今となっては稚拙極まりない作品である。
  だが、この作品で注意してもらいたいのは「ド田舎の高校生がつくった怪獣映画」だという事実である。
  知識も無い、金も無い。 しかも田舎のこととて必要な資料や材料も手に入らないという悲惨な状況の中、すべてが笑っちゃうほどの手作りで、もはやイキオイのみでもって総尺90分の怪獣映画を半年がかりで完成させたのである。 何せ、当時我々の手元にあった機材は、エルモのスーパー8とフジカの36コマハイスピードのきくシングル8、そして300ワットのビデオ用ライト2灯だけだったのだ。

  しかし、この極端な手作り志向というのは現代の特撮映画づくりを目指す多くのアマチュアフィルムメイカーたちの置かれている状況とあまり変わらないと思うし、かえってハイテクなSFXの方法について云々するよりも初心者の方には参考になるのではないかと思う。 事実「巨獣戦線」で確立された基本的な技法のいくつかは、現在のTEP作品でも形を変えながらも使用されて続けている。

●イカにして高校生がカイジューをつくったか●

  「巨獣戦線」に登場する“オロチ”は、キングコブラが全長120メートル程に巨大化したようなヘビ型の怪物である。
  普通ならばこういったクリーチャーはストップモーションアニメで動かすべきシロモノである。 何せヘビ、まともな関節も無いわけだから複雑なアーマチュア(人工関節)は不要なのだ。
  しかし、当時の我々には、ストップモーションで撮られたオロチの映像に、他の特撮技術を加味出来るほどのテクニックが無かった。
  まがりなりにもカイジュー映画だから都市破壊シーンがあったり自衛隊の攻撃シーンがあったりするわけだが、オロチをストップモーションで撮ると、壊れるビルや戦車の砲撃など、それに付随する他の映像イメージをどうやって同一画面上で再現すればいいのか、わからなかったのだ。 今だったらクロマキー処理とかスクリーンプロセスだとか可能なのだろうが、田舎の高校生にそんな芸当が出来るワケがない。
  で、結果的にオロチをスーツメーションの縮小版的な方法で撮影することにした。 つまり、オロチのミニチュアを操演で動かすのである。 簡単に言えば、何せヘビだからゴジラ映画のゴジラ本体を無くして、その尾っぽだけを主役にしたような撮影方法にすれば良いと、この生意気な高校生は考えたのだ。

  まず材料だが、田舎のこととて造形用ラテックスゴムなんてもんがカンタンに手に入るわけもなく、売ってたところで高価で買えやしない。 で、使ったのがお馴染みバスコークである。 そう、初期の「宇宙船」でも紹介された、水道管などの水漏れ修理用のゴム充填剤である。
  ヘビの頭部は普通の紙粘土で作り、上からバスコークを塗る。 胴体は紙粘土のボール状のものを、大きさを変えて幾つも作り、それをタオルでくるんで先細りにして、やはり表面にバスコークを塗る。 で、当時発売されて間もないタミヤの水性アクリル塗料で着色して完成。
  こいつを2点ないし3点からテグスで吊り、うねうねと動かす。 全長が120センチほどあったので、ミニチュアセットの中に置いて36コマのハイスピードで撮るとそれなりの迫力になってくれて、市街地を歩く(ヘビなのに?)自作の怪獣を初めてファインダーごしに見たこの高校生連中はイタクかんどーしたもんである。

  後智恵では、逆回転撮影やセット自体を逆さにして撮影したりすれば、もっとヘビ特有の動きが再現出来て面白かったかも知れぬが、当時の我々は、ちゃちいながらもズラリとならんだ民家のミニチュアの中をのっしのっしと歩く(ヘビなのに?)オロチの姿を見ただけで、ゲップが出るホド満足してしまったのだった。
  その後「目覚めよと呼ぶ声あり」に登場したロボットの怪物も操演で動かしたが「生物を模した異形の怪物のモデルを操演で撮影する」という私の志向は、すでにこの作品で片鱗を見せているように思う。 

●七転八倒のミニチュアづくり●

  この作品で苦労したのは、とにかくミニチュアづくりだった。
  何はともあれ、“数”がいる。 しかし乏しい予算では、材料も限られている。 可笑しな話しだが、高校生の懐具合では、工作用のプラ板だって買い込むコトは出来なかったのである。

  そこで、あっちこっちのゴミ捨て場などから拾ってきた固めのダンボールが活躍することになる。
  まず、学校の帰り道に市街地や住宅地などのいろいろなたたずまいの写真を撮り、気に入った建物をピックアップして、それを参考にミニチュア作りを開始した。 スケールは1:70〜1:40程度である。
  なぜこのスケールかと言えば、これがまたセコイ話しで小さく作れば家一軒に使う材料が節約出来るということと、これだったら同一画面に写るクルマのミニチュアなどは、一般的に使用されはするものの高校生にとっては結構高価な1:24スケールのプラモではなく、安価なトミカのミニカー(当時確か一台¥240也)が使えるから……といった理由からである。
  ただ、そこはコダワリ映画少年、買ってきたミニカーもそのままではなく、ドアのノブやテールランプ、ナンバープレート、ホイールなどはこまめにプラカラーで塗装して使ったりした。 これだけでずいぶん雰囲気が変わるもんである。

  製作メンバーの多くは、決して手先が器用というわけでもなく、過去にプラモデルを数個作った経験があるといった極普通の少年たちだった。
  何せ集まったメンバーが当時新聞部長だった私を筆頭に、生徒会長やバレーボール部のキャプテン、バスケ部や野球部、あげくに体育祭に向けて練習しているチアリーダーといったようなもんで、高校生活最後のでっかい思い出を作りたくて集まったという、およそマニアとはかけ離れた連中だった。 それでも何だか知らないが、誰に教わることもなくディテールにはこだわっていたように思う。

  例えば、ある時気づくとアニメーター担当の佐藤謙二が1センチ四方に切ったケント紙をひっきりなしに手でクニクニと曲げている。 授業中だろうが休み時間だろうが、映画館に入ろうがとにかくその紙片を手放さないのである。 こりゃ何かの職業訓練なのかなと思うほどで、いつ彼を見ても手先を動かして、紙片を曲げちゃあビニール袋に貯め込んでいる。
  一体ナニカと思っていたら、なんとまあ彼は紙片を一枚一枚指で微妙に曲げて、「ミニチュアの屋根瓦」をこしらえていたのである。 農村地帯出身の彼としては、民家のミニチュアの屋根に瓦が無いというのが許せなかったのだ!
  今ならば原型を作ってシリコンで型取り、樹脂を流して量産なんてことをするのだろうが、数百枚の瓦を手で曲げてつくった彼の根気には今もって脱帽する。
  本来佐藤という人物はまったく不器用で、プラモなんぞ作らせようものなら、必要な部品をいっぺんにランナー(枝)からもぎとって、どれがどれやら部品ナンバーがワカラナクなってしまい、ひとり途方に暮れるといった類の人種であったのだが、「巨獣戦線」ではやたらとディテールの細かい電柱を必死になってこしらえたり、実家が水道配管関係だからか、ビルの壁面にプラ棒をマメに曲げて配管してみたりとずいぶん芸の細かいところを見せ、我々を圧倒した。

  また、オロチの巨大感を強調するため、地方都市特有の高圧線の鉄塔をオロチがなぎたおすシーンを考案したのだが、この鉄塔づくりがまた難儀で、当時オロチの操演を担当していた佐藤豊信が4日間に渡ってプラ棒や竹ヒゴと文字通りの格闘を展開し、40センチ程度のものをこしらえた。
  こうして完成した鉄塔はオロチの尾の一撃で粉砕されるのだが「よーい、スタート!」の声がかかって破壊されるまでの間、約5秒という短命で、撮影終了後に鉄塔の残骸を見つめる佐藤の“ナミダ目”がヤケに印象に残っている。

  その他街中で見かける広告塔や自販機、ガードレールなどをチマチマとこしらえていたが、作っているうちに結構いーかげんになって、スケールもバラバラだった。
  とは言え数人がかりでミニチュア作りを一ヵ月も続けていると、それなりのたたずまいを見せる2メーター四方程度の街並を再現することが出来て、実家の屋上の広場にそれらを並べては悦に入っていたもんである。

  これら建築物関係と同時進行で製作されていたのが陸・空自衛隊のメカである。
  時代を感じるが、当時はまだ74式戦車は自衛隊の新鋭装備で北方に集中配備されており、九州出身の我々にとって「自衛隊のタンク」といえば61式戦車であった。 これらはお馴染みタミヤの1:35プラモを利用したが、当時はモーター駆動で走るシリーズが健在で、画面上ではヘッドライトにミニチュアバルブ(小型マメ電球)を仕込んでキラキラ光らせながら元気に走っている。
  現在販売されているタミヤの戦車プラモは、精度が驚愕するほど向上したものの、すべてが展示用の無可動モデルとなっており、つくづく8ミリ映画が撮りづらくなったと思う。 せめて無可動モデルに簡単に組み込めて走るように改造出来るギヤボックスセットなどを別売してほしいものである。

  さてこの61式戦車、実は砲身の中をきれいにくりぬき、砲塔内部から細いチューブを外に伸ばし、こいつにチョークの粉を詰め込んでフッと吹けば、砲撃シーンが再現出来るようにしてあった。 このアイデア自体はなかなかのものだったが(事実同じコトを「目覚めよと呼ぶ声あり」や「砂丘の残像」でもやってる)いかんせんミニチュアが小さい……すなわちチョークの粉が少なすぎて効果が無く、砲撃は別の方法で再現することにした。
  フィルムの一齣一齣にキズを付けていくアニメ、シネカリである。 ただのシネカリではないところがミソで、画面上の戦車の砲口にシネカリで炎らしきものを書いた後、その部分を水性アクリル塗料のクリアオレンジで着色したのである。
  これは思いがけない効果を生んだ。 劇中、自衛隊員がぶっぱなすバズーカ砲(無反動砲)は、松崎勝己が父上の協力のもと(オヤジさん、仕事ナニやってんだ)配管用ビニールパイプをバーナーで熱して加工したりして自作したものだが、その砲撃シーンなどでもこのシネカリ+アクリル塗料の技法が使われている。
  このアニメ製作作業は前述の佐藤謙二の担当であったが、凝り症の彼は2連装の40ミリ砲を持つM42自走高射砲という車両の連続射撃の再現にも挑戦している。 何せ、あの小さい8ミリの一齣に写っている戦車の砲口をいちいちルーペで確認し、ニードルでキズを付けた後に面相筆の先にクリアオレンジを含ませてチョンチョンとフィルム上に乗せていくのだから、まったく根気のいる作業だった。

  さて、陸を走るものならば結構ラクに作れたが、空を飛ぶものはなかなかカンタンにはいかない。
  そう、ヘリコプターに苦労させられたのである。 それなりの大きさのプラモでも買ってきてモーターを仕込めばローター(回転翼)を回すこともラクに出来ようが、何せ予算がナイ。 1:72というちっこいスケールのヘリのプラモを買ってきて何とかしなくちゃいかん。
  結局は、酒井直というなかなかに器用な男が、当時よく売れていた小さなゼンマイのおもちゃ、チョロQミニカーのゼンマイをヘリに仕込んだ。 ゼンマイをいっぱいに巻いたところで、5秒も回りゃ止まってしまうのだが、映画というのは便利なもんで、5秒ありゃあワンカットが充分に撮れるのである。 

●火薬がナイ!●

  特撮映画には火薬を使った効果が不可欠だが、高校生の我々にはその入手は100%無理だった。
  「巨獣戦線」の前年、私は「GUNFIRE」という特撮がらみの映画に取り組んで、ものの見事に失敗したのだが、その経験から市販の花火をそのままミニチュア特撮に使用しても良い結果が得られぬことを承知していた。
  8ミリキャメラの高級機ZC1000でもあれば、4倍のハイスピード撮影が可能だからもう少しなんとかなったろうが、手元にあるキャメラでは2倍(36コマ)撮影しか出来ず、これだとミニチュアにバクチクを仕込んで点火しても、瞬時に「パン!」と破裂して包み紙の破片がハラハラ舞うだけでまったく重量感が無いし、花火に点火したところで原色に近い火花がシューシュー出るだけで、その火花の大きさでミニチュアの縮尺がバレてしまうのがオチ、ということを何となく知っていたのである。

  そこで考案したのが、「セットの下から任意の場所を突き上げて爆発を再現する」方法である。
  2本の脚立にアルミサッシの網戸を橋渡しして、その上に新聞紙を張る。 それをベースに土や砂をまいて地表を作り、その上にミニチュアをセットする。 適当な棒で網戸の裏側からポーンと突き上げると、網戸の張力が良い具合のクッションになって、突き上げた部分の土砂が舞い上がり、ある程度縮尺に見合った爆発に見えるのである。
  この方法だと好きなタイミングで好きな数だけ爆発が再現出来るし、突き上げた反動でミニチュアの民家などが微妙に揺れるのがまた何とも言えぬ味になってくれるのだ。 「巨獣戦線」の爆発は、ほとんどこの方法で再現された。
  これだとまったく「火」を使わないから、高校生が火を使う…つまりライターを持ち歩いているということを学校側に深読みされないという、高校生らしい打算もあった。 もっとも、カノン砲の砲撃シーンなどでは、友人がポケットに忍ばせていたマイルドセブンで、あたりに漂う砲煙を再現したこともこの際バラしてしまおう。
  この、下から突き上げるという単純な手法を我々は気に入って、冗談で、さも物凄いテクニックであるかのように「ネットコーティングボマーシステム」などと呼んでいた。 網戸を土砂や新聞紙でくるんでしまうことからのネーミングである。
  これは結構寿命の長いテクニックとなり、後の「異端の森」「目覚めよ〜」などではガソリンの火や電気着火の火薬などを併用した効果として使用され続けている。 

  こうして七転八倒の末製作した「巨獣戦線」は、あまりの長大作故にその年の文化祭には間に合わず、2本組のリールに分けた“前編”のみを上映したにとどまったが、文化祭では稀な「特別賞」をもらい、このような活動が後輩にも影響を及ぼし、その後の文化祭では正式に映像部門が設定されたりしたという話を後になって聞いた。
  「巨獣戦線」自体はその後リテイクや撮り足しを繰り返し、その年の暮れになってようやく完成したが、勉強をほったらかしにして映画ばっかりやっていた我々は一部の学校職員の目の敵にされて校内や周辺地域での上映活動は禁じられ、私自身、職員室で教師と対決したり、レジスタンス的に有志を募っての小規模な上映会を繰り返したあげく、またまた職員室で名指しで罵倒されたり、随分と虐げられたような気分を味わった。
  確かに学業をおろそかにしていた我々も悪かったとは思うが、生徒の文化的活動をアタマゴナシに否定したような職員がその後も長く要職にとどまっていたのを知ったときはかなり気分を害し、若造なりに世の理不尽さを感じたものだ。
  とは言え、まったくの文字通り“反面教師”というヤツで、これが良いバネになってその後の創作活動を活性化させたのも事実だし、完成した作品はその後数年間に渡って各種のイベントで繰り返し上映されたり、卒業後の母校の文化祭に呼ばれて招待上映されたりもして、高校卒業後数年がかりでようやく溜飲の下がる思いとなったのも、今となっては懐かしい思い出である。

  この文章を読んでいる方々の中に、今後教職につこうとしている方がいるかどうかわからぬが、もしも一人でもおられるならば……高校時代の“創作活動”は、そのヒトの大切な、一生の思い出のひとつとなる。 どうか自分の教え子の活動は、学校のくだらぬメンツなど以上に大切にして、温かく応援してあげてほしいと、この場を借りて申し上げておきたい。
  ミソジを過ぎてオジサンになってしまった8ミリ少年の切なる願いである。 




異端の森

(1986年作品 ※リニューアル版が1987年に完成)

●ブラッドベリはムリなのか?●

  私の在籍していた映像学校は3年制で、1年の時は3分ほどのエチュード(習作)を製作、演出することは許されるが、大抵は上級生の実習製作作品にスタッフとして参加して「仕事に慣れる」ことを要求された。
  これが2年生になると、短篇ながらも自分たちだけでわりあいと本格的に作品をつくることが出来るようになる、というシステムになっていた。
  「異端の森」は、2年生の夏期製作実習の「特殊効果を盛り込んだ15分前後の映画の製作」という課題に合わせて製作したものだが、予想以上に手間がかかって締め切りも守れず、学校から支給された微々たる額の製作費は初期の段階で枯渇し、結局はなかば自主製作というかたちで完成させた作品である。

  当初私は、レイ・ブラッドベリの「霧笛」がやりたかった。
  「霧笛」は「原子怪獣現わる」や「ゴジラ」をはじめとした世界の原始怪獣映画の原典であり、私はこの作品を可能な限りムリが無いように舞台を近代の日本近海に移して脚色し、原作の流れに忠実に映画化したいと思っていたのだ。 
  しかし脚本まで書き起こしはしたものの、流石に学校の小規模な実習にハマる企画ではなく、これはひとつの“夢”として将来いつかつくることとして、オリジナルで別の作品をこしらえることにした。 その際に欲が出て、「人間と恐竜の時空を超えた遭遇」を描く短篇を数本製作してオムニバス映画にしようというタクラミが頭に浮かび、そのプロローグを実習でやらせてもらおうと考えたのである。
  それがこの「異端の森」であり、エピローグとなる予定だったのが後に製作した「砂丘の残像」だった。 この2本に挟まるかたちで、他に3本の企画を温めていて、そのうちの1本が前述の「霧笛」だった。 「砂丘の残像」は何とか完成させたものの、このオムニバス映画の企画はどうやら今世紀中には実現しそうにない。 しかし、いずれ宮本版「霧笛」だけは、カタチにしたいなぁなどと今でも考えている。

  ところで、「異端の森」にはちょっと面白いエピソードがひとつある。
  私が学校を卒業して、とある弱小プロダクションで特撮マガイの仕事をしていた時分のことだが、ある時本社の連中に呼ばれて行ってみると、TV番組製作では定評のあるT社のディレクターに会えと言う。 行ってみると、ディレクターと数名のスタッフが、どこから入手したのか「異端の森」のビデオを観ており、「これを作ったのはキミか? この恐竜はどうやって再現したのだ? 」などと仔細に聞いてくる。 怪訝に思いつつ説明をすると、どうやらその年の夏休み特番で恐竜ものをやりたいので、特撮を担当してみないか、という話らしい。
  「一昔前は、恐竜と言えばティラノサウルスとトリケラトップスの決闘がお馴染みの映像だった。 でも、今はディノニクスだよ。 こいつらの動きを再現してほしいんだ」とも言う。 予算の面もあるし、帰社して検討すると答えたが、デイレクターは「実は外国のフィル・ティペットという人の撮った恐竜特撮のデモ映像があり、それが借りられれば一番良いのだが、ダメなときはぜひ協力してほしい」と言った。
  特撮ファンのはしくれである私はもちろんフィルの名前は知っており「大御所のフィル・ティペットが商売ガタキになったぞ!」と張り切ったのだが、しばらくしてT社から、フィルの映像の使用許可が下りたのでこの話は無かったことに……という連絡が来た。 その後私自身フィル・ティペットが撮ったという恐竜特撮のフィルムを見ることが出来たが、「こりゃあ、逆立ちしたってかなわん! このヒトは近い将来、とんでもない恐竜映画を作るんじゃなかろうか?」なんて、感嘆しながら画面をながめたもんである。
  デジタルのCGI技術に押されつつも、フィル・ティペットが誇らしげにクレジットされた「ジュラシックパーク」を観て驚いたのは、それから10年近く経ってからだった。 

●“アメリカの夜”●

  「異端の森」は、全編のおよそ95%がナイトシーンで構成されている。
  夜道を疾走するライトバン、霧の漂う謎めいた森……すべて“夜”である。
  本来ならば夜間ロケを敢行したいところなのだが、いかんせん照明機材が絶望的に不足している。
  映画をちょっとカジッたことのある方には容易にご理解いただけようが、夜……すなわち暗い画面を撮りたいからと言って、暗いまんまに撮りゃいいってもんでもない。 ある程度の光量を確保しておき、それを露出やフィルターでコントロールするからこそ、つまり余裕のある光量を自在に加減することによって映像的に「適度な暗さ」が実現出来るわけであって、単に暗い舞台を撮ったのでは、特に画質が保障されぬ8ミリでは「暗くて何だかわからん画面」になってしまうのがオチなのである。
  ではどうするか?
  俗に「アメリカの夜」などと言われている「擬似夜景」で撮影する。 昼間に撮って、あたかも夜のように見せるワケだ。
  そのためにはキャメラの露出の調整や、ブルー系のフィルターを駆使してワンカットづつ明るさを調整していく他ないのだ。

  恥ずかしながら、私は高校時代から8ミリをいじくりまわしてはいるものの、擬似夜景撮影の経験が無かった。 そこでまずテスト撮影を行なってデータの収集から手をつけることにした。
  この時、初めてセコニックの露出計、スタジオデラックス――通称スタデラとやらを使うことになった。
  こいつは手に持っているだけで、いかにも映画屋でございという気分の味わえるグッズのひとつで、使い方も知らぬ高校時代から憧れの品だったのだが、実際に使ってみると、スタデラの露出測定が入射光式であるのに対して、大抵の8ミリキャメラはプリズムレフレックスのTTL測光なので、そのままでは誤差が生じてしまい、どうも具合が悪い。 だから8ミリ撮影の場合は、キャメラ内蔵の露出計を信じてグレイカードで適正露出の測定を行い、スタデラはフートキャンドルの値を見て、例えば背景のセットと人物との光量のバランスを見る、という使い方をしたほうが、気取ってスタデラで測定して失敗こくよりは手軽で正確だということに気づいてしまった。
  もっとも、スタデラの使用法に精通していて、手持ちの8ミリキャメラとの露出測定値の差も把握していて、的確な測定が出来るという自信がある場合はこの限りではないのだが。

  今回は、光学系に精通している高山克彦の意見をもとにキャメラとスタデラの誤差を読み、しかもどの程度絞れば夜景になるかを確認したうえで撮影に臨むことにした。
  ……結論から言うと、撮影は大失敗。 撮影助手が説明をカンチガイして夜景用にあらかじめ絞った値を、更に絞って計算してしまったのだ。 暑い夏のまっ盛り、朝も早よからロケに出かけ、まるまる3日かけて撮影した数十本のフィルムは露出測定のマズさから全部マックロケで、監督と撮影を兼任した私はもちろんのこと、参加した全スタッフは致命的な脱力感に襲われた。 まったく、慣れないことをいい気になってやるもんじゃない。
  結局、学校サイドに泣きついてもう一度テストを行い、しきり直してリテイク・ロケを行なうこととなった。 こうして一度目のロケはまったく良いテスト撮影となり、何とかミステリアスな夜景を撮るためのデータを集めることが出来た。

  残念ながら今となっては詳しいデータを失念してしまったが、確かコダック160のフィルムを使い、ピーカンの条件下でケンコーSQのパープルと照明用B3フイルターをレンズに装着した状態で適正より一絞りほどアンダーにした状態あたりが、いちばん面白い絵柄に仕上がったはずで、場合によってはハーフNDなども併用した記憶がある。 

●リターンマッチ・ロケ●

  さあ、もう失敗は許されない。
  しかも、学校サイドからのお達しで、ロケは2日に短縮されて予備日も無くなった。 万全の体勢で挑まねばならぬ。
 この時私は全カットの絵コンテを書きおこしていて、それをもとに撮影手順をすべて決めてからロケに出発することにした。 前回のロケもそうであったのだが、例え擬似夜景とは言え、若干のタッチをつけたいので照明機材と2台の発電機を用意。 学校で購入したロスコーのスモークマシンも拝借して、スモークは大量に使用する予定だったからジュース(発煙用燃料)は自腹で購入。 また、可能な限りアクテイブなキャメラワークを試したかったので、装置担当の内田典孝に依頼して台車とレールを製作。 ミニチュア操演用に先輩の神原氏が製作した2.5メータークレーンも使用することになった。

  ロケ地は熊谷市郊外の「野鳥の森」と呼ばれる森林公園である。
  早朝から道なき道をワゴン車で走破しつつロケ地に到着。 次の次の、そのまた次のカットの撮影まで想定して、今まさに撮影しているのとは別の場所でのレール敷設、照明のセッティング、スモーク散布などを同時に行い、ワンカットたりとも完全にフィックスの絵が無く、何らかのかたちでキャメラが常に動いているという状況設定の中、一日80カットを消化した。
  この時のスタッフ間のチームワークは神業と言っても過言ではない。
  プロとなった今でさえ、あれほど複雑なセッティングをあれほど短時間に終えて次のカットがシュート出来る現場はお目にかかったことがない。
  森林公園内にはスモークマシンのパラフィン特有の甘ったるい匂いが充満し、真夏のこととてスタッフには薮蚊がたかり、まる一日2台の発電機のズダダダダという音が響き渡って帰宅しても耳鳴りのように頭の中から音が離れぬという最悪の環境に加えて、予算の関係で食事はコンビニのおにぎりを2個支給……これで移動撮影を多用する擬似夜景撮影という難しい条件に、2日間よく耐えぬいたものだと思う。
  しかも驚くべきことにこの時、ロケ地にいるスタッフは、総勢10人以上になることは決して無かったのである!

●造形スタッフの活躍●

  本編撮影と平行して、長沼弘幸をチーフとする造形チームの作業も急ピッチで行なわれていた。
  主役となるティラノサウルス・レックス(T・REX)の造形を担当する長沼は、デザインの段階から実際の造形作業に至るまで、そのカタチの決定と大きさに悩まされていた。 意表をついた斬新なデザインにしようと思えばどうしても大きさが表現出来なくなるし、大きさを表現しようとすればゴジラになってしまう。 結局7月から作業を始めて通算4回のデザイン変更を行い、粘土原型が完成したのは秋になってからだった。
  T・REX全身像は尾も含めた全長が1.2メーターほどあり、粘土原型はまずおおまかな形をカポックから切り出してシュロ縄を巻き付け、その上から油粘土を盛ってつくったのだが、ここで災いしたのが熊谷市の常軌を逸した猛暑で、作業場の室内温度がよほど上昇したのだろう、何とか原型をこしらえて翌日作業場に顔を出してみると、熱で軟化した粘土がボタボタ落下しているのである。 いったい何回原型を作り直したことだろう。 長沼チーフの苦労は並大抵ではなかったと思う。
  T・REXは、お尻の部分から手を入れてセサミストリート方式で動かす全身像と半身像の2種が作られ、カットによって使い分けられることになった。
  巨大な粘土原型から石膏型をとり、表面にラテックスを塗布する。 これが皮膚となる。
  肉付けは、今回(我々としては)初使用の発泡ウレタン。 こいつをラテを塗った石膏型に流し込み、型から外せば出来上がり……なんて、なかなか簡単にはいかなかったんだこれがまた! 型から外れやしねーし発泡ウレタンはハミ出すし、それぞれのパーツの結合も、余分に作ったラテックス製表皮(テクスチャースパットって言うのかね? あれで長沼師匠がせっせとこしらえておったな…)をちまちまと貼っていかねばならず、完成までに数日を要した。

  冒頭に登場するトリケラトップスは後輩の昌原の作品で、工程はT・REXと同じ。 全身像の無可動モデルと、頭部のみのパペットモデルが製作されたが、流石漫画家を目指すだけあって彼は画力があり、造形も見事なものだった。
  ブロントサウルスはやはり後輩の徳永の作品。 これは首だけ。
  プテラノドンは、遠景を飛ぶ小さいモデルは懐かしいタミヤのプラモだが、アップ用は粘土細工なんぞ大の苦手な宮本が必死こいてこしらえた無可動モデルで、ファンドで作った本体にビニールの翼を張ってラテックスで翼の筋肉を付け加えて製作している。

  問題はステゴサウルス。 前肢を動かし、首をひねって一吠えするやつである。
  これは高山がこしらえたもので、FRP製の骨格をヒンジとスプリングでつなぎ、ワイヤーで操作出来るようにしたもので、気取って言えばスモールスケールメカニカルという、手動ロボットである。
  ワンカットしか出ないようなもんに何でそんな手間をかけにゃならんのかと思われようが、一応ガッコーの実習という名目なので、何らかの実験的要素も加味してノウハウを蓄積しなければならぬという、タテマエがあったからで、しかし実際は監督の私の贅沢な要求に加えて、とりあえずこんなことがやってみたかったという高山の異常性癖的作り物フェチ型欲求が大暴走した結果である。
  このロボットステゴサウルスは、スケルトン状態では感心するほど良く動き、高山という男の評価をイヤガウエにも高めた逸品であった。 しかし、同じく高山の手による粘土原型から型抜きした表皮はラテックス製であったため、これを被せると動きが固くなってしまったのが何とも残念であった。 あれは高山の責任ではなく、フォームラバーが買えなかったし、いざ買ったとしてもそれを焼くオーブンが無かったという、時間と予算の問題である。
  ただ、実験精神旺盛な彼はこの表皮の塗装にもいろいろと工夫しており、現在ならば他の理想的な塗料が入手出来るのであろうが、当時はそうもいかなかったので、セメダイン社のボンド・Gクリアーをトルエンで溶いたものにラッカー塗料を混入してスプレー塗装し、柔軟なラテックスからの塗膜の剥離とヒビ割れを防いだりしていたように記憶している。

  さて、恐竜以外の造形物や美術関連に目を移せば、トリケラトップスと激突してひしゃげたライトバンは、撮影に使用した実車の写真をもとに、市販のプラモを改造して宮本がこしらえたもの。
  ラストに登場するジュラ紀のパノラマは、美術担当の原田・柿沼両氏がカポックのブロックからせっせと削りだして作ったもので、一応レンズの画角とパースが計算されている。
  時折印象的に使用されている「満月」は丸く切り抜いたケント紙に描かれた絵で、これをブルーのホリゾントに貼ってスポットライトを当て、手前にカポックの削りだしで作った山やヒムロ杉をナメて撮影したもので、実景ではない。 

●ジュラ紀復活●

  夏の終わりに本編の撮影は終了したものの、恐竜などの造形には大変な手間がかかってしまい、特撮がシュート出来たのは肌寒くなってからのことで、当時こまめに撮影されていたメイキングビデオを見ると、本編のときとは違ってスタッフは皆厚着をしている。

  本編で擬似夜景撮影を行なったので、特撮もそれに合わせねば色調が統一出来ない。 撮影用のミニチュアセットは屋外にセッティングされた。
  カポックのブロックに地表を作って、芝生やビニール製の植物を植え込み、木立はヒムロ杉で再現する。 そのブロックを奥にいくにしたがって高くなるようにセッティングし、最小限の規模である程度の“アオリ”が撮れるようにしてあった。
  カポックのブロックは約50センチの間隔で隙間が開けてあり、そこにスタッフがもぐりこんで、マペットのT・REXを動かしたり、ステゴサウルスのワイヤーをキャメラの死角に引いてきて操作した。

  T・REXの口からしたたるヨダレは、本来ならば風俗嬢ご用達、かのエイリアンのヨダレにも使われた有名なローションを使用すればいいのだが、当然ながら誰も持っておらず(唯一高山が「あれは便秘になったときに便利だぞ」と言っていたのを鮮烈に記憶しているが、あのリアリティーあふれる口調からして、実際に試みたことがあるに相違あるまい)結局は卵の白味をほんの少し水で溶いたものを使用している。
  これは懐かしの「巨獣戦線」で使ったのと同じテである。

  ラスト近く、主人公の青年が投げた手製爆弾が炸裂するシーンでは、当時特殊効果を担当していた鋤柄哲雄がなんだかんだと工夫してこしらえた火薬が使用されているが、いったいどう爆発するのか皆目見当もつかず、撮影はかなり緊張した。
  ほとんどのスタッフが逃げ腰であった。
  炎に包まれるT・REXのカットは、金属製の器にガソリンを注いで燃やし、それにまたガソリンを霧吹きで吹きかけて炎を演技させるという危険極まりない方法で撮影されており、これはヘタをすると大火傷どころか火災を起こしかねないので、皆さんは真似しないよーに。
  実際、当時のメイキングビデオでこのシーンの撮影状況を見ると「熱いっ熱い!」「バカヤロー、俺がいちばん熱いんだ!」「俺んちが火事になるわけじゃねーからいいや」などと言うスタッフの下品な叫びが散々収録されており、メイキングビデオの品位を著しく損ねている。
  この作品、火薬の効果に関してはまったく苦労しており、ラストの火山噴火でもかなりNGを出しているし、ジュラ紀パノラマセットもそれ自体が火災を起こしかけて、慌てふためく私のめったに見られぬブザマな姿がメイキングビデオに克明に記録されていて、あの映像は永久に封印すべきだと今だに思っている。 

  こうして完成した「異端の森」は、現在の目で見ればドラマ性も希薄だしキャメラも不必要に落ちつきなく動いてしまうような稚拙さが目立つものの、その当時やれることはすべてやったのだという満足感が残る作品となった。
  「異端の森」は、完成から10年を経た1997年になって、穂山賢一のオリジナルスコアと船本洋志オペレーターによるビデオイフェクトを加えた改訂版が上映会用に登場したが、その作業中、久々に原版のフィルムを見直した私の脳裏に、劣悪な環境でのロケで必死になってレールやクレーンを操作した撮影スタッフや出演者の努力、低予算にあえぎつつも当時入手出来る資料から何とかユニークな恐竜のイメージをかたちづくろうとした造形スタッフの熱意、そして己れの力量も顧みずにスピルバーグばりのキャメラワークで全編を押し切ろうとした私自身の、若さ故の“力技”など、当時の何だか熱病にかかったかのような大騒ぎの記憶が鮮烈によみがえり、「手作りの味」とか「いきおい」といった、最近忘れつつあった自主製作映画のエッセンスをも思い出し、ちょっぴり感傷的な気分になりながらもまたまた熱病にうかされたかのように若々しいエーガがつくりたいなぁなんて、思ってしまったのだった。 




目覚めよと呼ぶ声あり

(1989年作品 ※1997年、ビデオ改訂版完成)

レントラックジャパン第一回インディーズムービーフェスティバル入選。

 


  ご承知の方も多いと思うが、この作品は公開後10年が過ぎた現在に於いてもTEP史上空前の大作であり、シナリオ・演出・撮影・特殊技術などどれをとっても興味深いエピソードの固まりである。
  恐らくそれらをキチンとまとめれば、拙著「砂丘の残像・全記録」を遥かに上回る大著になってしまうに違いない。
  語りたいことは山ほどあるのだがここではちょっと自粛して、特殊効果関連だけに絞って記していきたいと思う。 


●合成だ!●

  「目覚めよ〜」の製作当時、最も気にかけていたのが“特撮とドラマをどう融合させるか”ということだった。
  人目を引く特撮ばかりが目立って、ドラマの部分はオソマツ……ぶっちゃけたハナシ、アダルトビデオを観ているヒトがストーリー部分を早送りしてすっ飛ばし、カラミのシーンばっかり見てしまうのと似たような風の映画になっちまったら困ると思ったのだ。
  実際出来上がってみると、主に私のシナリオ構成力と演出力の不足から、ドラマ部分のツメがいかにもアマイ作品になってしまって今だに反省しきりなのであるが、当時としては私なりになんだかんだと考えて努力はしていた。 ソコソコにキャリアを積んだ今になってみれば何とも可愛らしい“努力”ではあるけれど、我ながら必死だったんだなぁなんて思ってしまう。

  さて前置きが長くなってしまったが“特撮とドラマの融合”をメインテーマにした場合、主力兵器として活躍してくれるのが合成技術である。
  当時はこの合成をメインに考えつつ、往年の本多・円谷コンビではないけれど、特撮のカットとドラマ部分のカットをいかに有機的につなぐかに苦慮していた。 正直言って、8ミリ映画で出来る合成なんてぇのはたかが知れていて、よっぽどウマクやっても画質の違いが出てしまう。
  例えば、背景の空の色ひとつとってみても、オープン・ロケとスタジオ内のミニチュアセット、そしてまたそれらにエリアルプリンタ(高山克彦による解説記事参照)合成をかけたフィルムでは、いかに色を似せて撮っても何だか違う色と画質になってしまうのである。 基本的には、8ミリでこのような複雑なことをやらかすと、色調や画質を完全に統一するのは、不可能なのである。
  で、ムリを承知で、もはや一種のノリでもって各種のカットを編集でつないじまったのが「目覚めよ〜」という映画なのである。
  それぞれの合成技術について述べてみよう。

  もっとも単純な方法はマスク合成。
  ご存じのように、レンズの一部をマスクして撮影、一度巻き戻して逆側をマスクして別の被写体を再び撮影、すなわち多重露出する……という初歩的な技法だが、今回はちょっと変わった方法をとってみた。
  例えば、画面をほぼ上下に2分割して、下部は実景で逃げる群衆、上部は遠景でミニチュアセットの中を歩く“蟻”という画面にしたい時、実景は秒間18コマのノーマル、遠景は火薬も使う特撮なので72コマで撮りたい。 しかし、撮影スピードが違うと露出も違うのでそれを上下で合わせ直さねばならない。 が、そのためにはマスクを外して露出を測定しなくてはならないが、マスクというのは一度外すとズレてしまうのである。
  そのため、マスク合成用と露出測定用の2台のキャメラ(ZC1000)を準備して、マスクを外さなくても露出が測定出来るようにした。
  結果はおおむね成功だったが、やはりパーフォレイションが片側しかない8ミリの安定性では、撮影スピードを変えて合成するにはかなり無理があり、何カットかは絵が揺れた。

  マスクを使わない単純な多重露出もいくらか使用している。
  例えばB−9爆撃機が飛翔するショットは室内のホリゾントバックで撮影したのだが、多少現実味を加えたいと思い、室内を真っ暗にしてライトを一灯だけ点灯させ、そいつにレンズを向けて、レンズフレアーだけを多重露出して日光のフレアーっぽく見せたりした。
  住宅地上空に低空で侵入して“蟻”を攻撃するA10攻撃機の周囲で“蟻”の対空砲火が炸裂するショットも多重露出である。 真っ黒に塗った板の表面に火薬を取り付け、キャメラをパンさせて、そのスピードに合わせて火薬に点火する。 これを、ミニチュアセット上空に浮くA10の絵と合成したのである。

  また、この作品では高山克彦の開発したエリアル合成機も活躍している。
  エリアルに関しては別項で高山本人が述べているのでここでは詳しく述べないが、川崎裕之監督作品「地底鉄神マグマテウス」以来、特撮映像づくりは現場の宮本、合成の高山というコンビのキャッチボールだったように思う。 それなりの絵コンテを描いて、それに合わせて撮影し、出来上がった素材を高山に渡す。 と、高山が夜業(よなべ)でせっせと光線などを合成する……これの繰り返しだった。
  このエリアルプリンタがもっとも華々しく活躍したのは前述の「マグマテウス」だと思うが、「目覚めよ〜」においても各種のレーザー、“蟻”やフリゲート艦の砲撃、爆撃機から発射されたミサイルのアフターバーナーなどで細々と使用され、効果をあげている。

  もうひとつ、この作品で活用されたのがスクリーンプロセス、所謂フロントプロジェクションである。
  これは某光学専門店から買い入れた2メーター四方程度の高反射スクリーンを使用したもので、結構高価だったので、友人や後輩からカンパを募って共同購入し、皆で使えるようにしたものだ。 システム自体は原始的なもので、何かのコンポーネンツがあるわけでもなく、ハーフミラーと表面鏡を使って映写機からの映像と実像の光軸をだましだまし合わせたもので、キャメラのファインダーをのぞきつつ「今、影が消えたぞ!」なんて言いながら地味〜な作業をせっせと続けていた。
  しかし高反射スクリーンとは言え、それほど高級なものではなかったらしく反射率が低く、ナイトシーンではそれなりの雰囲気だったが、昼間のシーンはやはり暗くなってしまった。 しかも映写機とキャメラの回転を同調させていないので、うっすらとフリッカーも出ているというオソマツなものだったが、初体験だったし、エキストラ出演した後輩連中は「避難するヒトビト」とか「自衛隊のヒトビト」に扮して大はしゃぎだったので、それはそれで楽しかった。
  この作品では、スクリーンに映る映像も、合成されたものを収録するフォーマットも8ミリフィルムだったが、バックグラウンドをせめて16ミリにしておけば、もうちょい綺麗な画像に仕上がったのではないかと思う。

  ところで、ときどき観客の方に「あれは合成ですか?」と聞かれるシーンがある。
  軍事スパイ・トキムラとヒロイン・玲子を乗せたクルマが街中を走る場面や、戦闘ヘリのパイロットを捉えたショットなのだが、あれは合成ではない。 人物の乗ったクルマ、または戦闘ヘリのコクピットのセットの後に車輪付きの台座を置き、その上にミニチュアセットを組んで、窓外の風景が後に流れるようにミニチュアセットをよっこらしょ! と引っ張ったのである。
  このショットのミニチュアと“蟻”が暴れているショットのミニチュアは同一のものなので「空間が統一」されて見えるのではないか、という計算だったが、実際のところ照明が明る過ぎてミニチュア入れ込みの一発撮りってのがバレバレで、あれを「合成デスカ?」と聞いてくれるのは何とも良心的な見方をしてくださっている、ということなのだろう。
  お恥ずかしい……。 

●ミニチュア・メカたち●

  「目覚めよ〜」を初公開した際のチラシには「日本SF映画史上、最多種と言える各種メカニックが活躍……云々」とある。
  ちょいとオオゲサだが、確かに実在・架空取り混ぜてかなりの数のメカが登場している。
  実は「巨獣戦線」のときにも、オリジナルデザインのレーザー兵器を登場させようという魂胆があったのだが、文化祭で上映しなければならぬという締め切りもあったし、造形面での技量不足もあって断念した経緯があった。 そう、TEPでは初期の頃から「実在するものに準じたリアリティーのあるオリジナルメカ」を画面上で活躍させようという試みがなされていたのである。
  「目覚めよ〜」では、ようやくそのプロジェクトの一端が実現出来たのだが、これもなかなか難しい挑戦で、失敗の連続だった。

  まずその代表と言えるのが、設定では“VDLC”と呼ばれている対空レーザー砲である。
  私の頭の中では、「実在車両のようなリアリティーを持ち、尚且つ東宝のメーザー車に匹敵するボリュームを持つ車体」というイメージが渦巻いており、かなり気合いを入れてデザインに取り組んだ。 オールキャタピラ式の超大型戦車タイプや、ちょっと古風なハーフトラック式のものなどいくつかの案を経て、結局はトラクター牽引タイプに落ち着いた。
  現存するイスズなどの軍用トラックをモチーフにデザインされた、重戦車を運搬するためのトレーラー用トラクタヘッド、コントロールルーム、レーザー砲台本体の3連結で、設定全長はメーザー車のゆうに2倍はあり、大型トラック用タイヤを全部で40本はいているという怪物で、車体各部のパトライト4灯を点滅させながら夜の市街地を猛進、交差点をこれでもかとばかりに反対車線にはみ出しつつ大回りするようなビッグメカとして劇中で大活躍するはずだった。
  ところがこれが大失敗!
  メーザー車のような車体の長いメカは、劇場用シネスコ画面だからこそ画面での“納まり”が良く、カッコよく見えるのだが、これを何の考えも無しに8ミリスタンダードサイズで撮影すると、必ず画面の上下いずれかに見苦しい“間”が出来てしまうのである。 その全貌を捉えることすらままならず、撮影中には画面構成に大変な苦労をしてしまった。
  また、重量感を出そうとして暗いメタリック系やグリーン系など、実物の軍用車両に則した塗装をすると、ナイトシーンではいくらうまく照明を当てても全体が黒くツブレてしまい形が認識出来なくなってしまうのには閉口した。
  これはちょっと考えればバカみたく当然のことで、軍用車両というのは「目立っちゃ困る」からあーいう色をしているワケで、正直にその色で塗っちまったら画面で見えなくなるのは当たり前なのである。 現場では照明のセッティングなどにずいぶんと時間をとられたもんである。
  とりあえず完成した映像素材には、高山克彦の手によりエリアルプリンタでレーザー光線が合成され、何とか面目を保つことが出来たが、メカのデザインに関しては大きな課題を残すことになったと自分では思っている。

  他のメカとしては、米空軍所属のロックウェルB−9ブラックウィドウ戦術爆撃機がある。
  実在のB−1があまりに高価なため配備が進まずリタイアしたという話しを聞いていたので、その後継として開発された、ステルス性も合わせ持つ軽便な爆撃機という設定なのだが、これは本来企画段階で頓挫した他のSF作品のために中沢淳一デザイン、鋤柄哲雄造形で製作され、一時中断していたものを私が受け継いで完成させたものだ。
  本体はホオ材をポリパテでコーティングしたもの、主翼はアルミ板をプラ板でサンドイッチしたもので、複合素材のソリッドモデルである。
  製作当時、まだ機密だったステルス戦闘機の想像画がいろいろ公開されたり、海外のメーカーから架空のステルス機のプラモが発売されたりしていたので、それらを参考にして主翼は微妙なカーブを描き、鋭角的な部分の極力少ないものとして仕上げてみた。 ところがどっこい、B−9のミニチュアが完成したほぼ直後に本物のステルス機F117の写真が公開された。 見てみると、なんとまぁ洋風凧のようにカキコキの三角形なのである。 やられた! だまされた! ……と思っても後の祭り、とりあえずそのまんまのミニチュアで撮影することになった。
  今思い出しても苦々しい経験である。

  また、地味な存在ながら劇中では結構活躍しているのが「74式“改”戦車」である。
  高価なため大量配備の進まない90式戦車をサポートするために開発された、74式の延命・武装強化型とい設定で「スーパー74」とか「MBT74“ハイブリッド”」とか呼ばれていた。
  まず主砲を120ミリ砲に換装、狭くなった砲塔内部のスペースをかせぐため砲塔後部に大型のボックスを増設して電子装備をそこに移転、砲塔側面には増加装甲板を張り、車体側面にはサンドシールドを装備している。 重量が増加したわりにはエンジンはそのままなので機動力が若干落ちているが、74式特有の車体姿勢変換機構を廃止してサスペンションを強化することで対処している……といった、戦車に詳しいヒトならどっかで聞いたような設定の寄せ集めなのだが、実はこれらも撮影の便宜を図っての設定なのである。
  ミニチュアの原型はもちろんタミヤの1:35プラモだが、主砲を120ミリ砲と太くしたのは、プラモの105ミリ砲のパーツのままでは砲撃シーンのギミックが入らぬため。
  砲塔側面に増加装甲板を張ったのは、ナイトシーンでツルンとした74式の砲塔側面に妙な照明の照り返しが写らぬようにするためと、砲塔後部にボックスを増設したのはシルエット気味で撮影したときの戦車らしいシャドウを強調するため。
  そしてサンドシールドで足回りを半分隠してしまったのは、本来74式のキャタピラは自重で垂れ下っているのが、モーター走行するプラモではそれが再現出来ないため、いっそ見えなくしてしまえ、というコトなのである。

  その他にも、夜間の市街戦に登場する小型偵察車両やミサイルトラックなど、とりあえず手元にあるプラモなどの部品をかき集めて見栄えのする車体を次々に作っていった。
  これらの車両は、とにかく「実在する車両と並べても、違和感の無いデザインで」ということを基本コンセプトに組み上げていったが、何せ私自身がプラモマニアで、しかも第二次大戦中の軍用車両が好きなタチなので、そのあたりの好みが出てしまい近未来SF映画にしてはいささか古風なデザインになってしまったものもあるように思う。

  こういったオリジナルメカとともに活躍するのが、プラモを利用したり自作したりしてそろえた実在の自衛隊車両である。
  私がマニア系だからかも知れないが、自衛隊の精鋭部隊が出動する……なんていうシチュエイションで、同じ戦車ばかりがぞろぞろ走って来てもリアリティーが無いように思い、やはり明らかに戦車とはシルエットの違う支援車両などが随伴して走ってきてこそ、独特の量感が再現出来るのではないかと、当時はいろいろこだわっていたように思う。
  しかし自衛隊の車両で、プラモで発売されているものは意外と少ない。
  タミヤ模型が発行している情報小冊子「タミヤニュース」というのがあるが、実は私はこれの読者投稿覧に匿名で「全国の8ミリ特撮ファンを救うと思って、自衛隊のジープやトラックを発売してくれ! 」と投書したことがあるホドである。 残念ながら文面があまりにオチャラケていたためか、いまだにこの意見は田宮俊作社長のお耳には届いていないようだ。
  プラモが無いなら自作する他ない。
  よく国道などで見かける角張ったデザインの「3トン半・73式トラック」は米軍トラックのプラモ改造、戦車回収車両は74式戦車の改造、レーダー装備の観測用トラックは“トラック野郎一番星”のプラモ改造ってな具合である。
  また学生時代の先輩に神原氏という実に器用な方がいて、ご自身も自主製作映画を撮っておられたのだが、氏のストックの中から完全自作した6輪の82式通信指揮車などをお借りした。 この82式は使用するにあたって若干のディテール改修を行なっている。
  かなりマニアックな話しで恐縮だが、タイヤを米国のプラモメーカー、レンウォール社が出していた軍用レッカー車のものに交換したりしたが、今となってはこのプラモも大絶版プレミアもので、ちょっと惜しいコトをしたかなぁなんて思ってしまう。
  また、榴弾砲をぶら下げて飛来するボーイング・バートルヘリも、もとは神原氏が原型を作ってFRPで量産した完全自作の1:35モデルを譲り受けたもので、結構大きいだけあって市販のプラモを使うより迫力ある絵が撮れたと思う。
  これらの兵器たちは、ほとんどがオリーブドラブと呼ばれる軍用の単色塗装が施されているが、「目覚めよ〜」が公開された後から本物の自衛隊関係のメカは2色の迷彩塗装が主流となっていった。 「目覚めよ〜」も、今では時代を感じさせる作品となってしまったわけだ。
  その他特殊車両としては、消防車などもプラ板を使って自作したりしたが、普段見慣れているはずの消防車もイザ模型で作ろうとすると全体のデザインがどーも把握出来ず、自分の観察力の無さにげんなりしてしまったものである。

  第二次大戦中の“回想”シーンに登場するメカについても述べておこう。
  劇中「UボートC型574」と紹介されているドイツ海軍潜水艦は、市販のプラキットから寸法を割り出し、大体1:75スケールで自作したものである。 材質はバルサ材をパテでコーティングしたもので、一部に金属板なども使用している。 搭載されている105ミリ砲や20ミリ機関砲はプラキットを流用した。 これは俗に「ウォーターライン・モデル」と呼ばれるもので、水面下に隠れる、所謂「喫水線下」を省略して作ってある。
  攻撃を加える米軍機は、TBFアベンジャー雷撃機は手軽にプラモが使いたかったが、どうしたわけか当時はどこにも売っておらず、バルサ材を使って1:50で自作し、今では生産中止となったミニベビーモーターでプロペラを回した。
  F4Uコルセア戦闘機は1:48、PBY飛行艇は1:72のプラモだが、たいして写りもしないんだからよしゃあいいのに、PBYはわざわざ5型というのに改造してある。 大戦末期の雰囲気を出そうとした……というのは言い訳で、単に趣味に走っただけである。
  これらのメカはすべて水とのカラミがあったわけだが、爆弾や魚雷による水柱は縮尺を考えて火薬と塗装用コンプレッサの圧搾空気を併用して再現したものの、やはり縮尺が小さすぎてあまり効果的ではなかったようだ。

  ところで、もうかれこれ7、8年前に名古屋の上映イベントに「目覚めよ〜」を出品したとき、観客からの反応(アンケート)に「35ミリ映画用のミニチュアを8ミリで撮る意味があるのか」というものがあった。 恐らくこの方の目には「目覚めよ〜」に使われたミニチュアは8ミリ作品用としては至極ゼイタクなものに見えたのだろう。
  しかし、現実はまったく逆だった。
  この作品のミニチュアは、予算や工作上の便宜を考慮して基本的には1:35というプラモデルのスケールに準じて準備されたのだが、実際このスケールは撮影用としてはまだまだ小さいほうで(戦車など、全長が20センチほどしかない!)フォーカスの問題など撮影中にはずいぶんと苦労して、いつももっと大きなミニチュアが欲しいと嘆いていたもんである。
  ちなみに、この作品の撮影中には8ミリキャメラZC1000用の広角レンズが手元に無かったため、すべて通常のレンズのマクロ機構を利用して撮影していたので、余計苦労した。
  撮影用ミニチュアに、35ミリ用も8ミリ用もない、と私は思う。
  例えば、予算が許せばの話しだが、自分の撮りたい映像イメージがあって、それを構成する上で絶対に必要だという結論に達したならば、極端な例を言えば8ミリ映画であっても全長10メートルの戦艦大和を作ったって間違いではないと思う。 ただ、10メートルの大和が無ければ絶対に撮れない絵が撮りたければの話しで、別の簡単な方法で同じ効果が出せるならばそっちを選ぶのが当然ではあるが……。
  結局、ミニチュアは作家のイメージの“代弁者”でしかない。 戦車だろうが飛行機だろうが、35ミリで撮ろうが8ミリで撮ろうが、本物が使えるのがベストなのである。
  あっ、そりゃ当たり前か。 

●ミニチュアセットあれこれ●

  超大作と言ったって、予算は極端に乏しいので物量には限りがある。
  それでも画面に変化が出したければ、自分の引き出しの中をひっかきまわして使えそうなものを全部引っ張り出して工夫して、まったく違うシチュエイションを構成する他ない……。 「目覚めよ〜」のミニチュア特撮の基本コンセプトは、結局これに尽きる。

  実は「目覚めよ〜」のミニチュアセットの多くは過去の作品用に作られたミニチュア(主に建物)を手直ししたもので、どれもこれも似たようなミニチュアの使い回しであり、ガラッと情景を変えることによってゴマカしているのである!
  劇中、主に登場する情景は「夜の市街地」「昼の飛行場」「昼の廃止されたトンネル」「昼の郊外の住宅地」「夜のコンビナート」といった程度のものである。 そのほとんどが、手元にあるミニチュアセットをメインに使って、必要となるミニチュアを最低限作り足したというもので、限られた数のミニチュアで可能な限り変化を持たせるために、昼夜の違いも含めて、出来るだけ異なった舞台設定を選んだのである。
  どれもこれも、ほとんどがテーブルサイズである。 一畳ほどのカポック(発泡スチロール板)の表面に道路や建物の敷地、田畑などの地表を造形し、その上に何度も建物のミニチュアのレイアウトを変えて、いくつもの情景をかたちづくっていった。
  昔の東宝特撮映画のような広大なミニチュアセットというものはほとんど存在せず、少ないミニチュアをフレーム内に効果的にレイアウトして、カットごとにならべかえ、モンタージュしているのである。 まず、“蟻”の攻めてくる側のセットを撮ったら、その「切り返し」というかたちで別レイアウトのセットを作って戦車を走らせ、別キャメラで撮った映像という設定で再びレイアウトを変えて撮る……つまり、「特撮カットの数だけ、小さなミニチュアセットが存在していた」ということになる。

  そんな工夫をしていても、やはりどうしても新規に欲しいミニチュアは出てくる。 可笑しな話だが、それを作っていると、何と表現すれば良いのか「作り手の“お国が知れる”」ような出来事がしばしば起こってしまう。
 例えば私の場合……都内のような市街地のミニチュアセットを作ろうにも、どうしてもアカ抜けないものに仕上がってしまう。 逆に農村地帯の風景を再現しようとすると、農家のビニールハウスや民家の屋根の上の太陽熱温水器にまでこだわってしまい、笑っちゃうほどリアルになってしまうのダ。
  なだらかな山の稜線が続き、そのふもとには民家が点在している。 そこからすぐ手前まで田畑が広がり、碁盤の目のように細い舗装道路が走り、視界の端には神社のほこらが見え、手前から奥まで高圧線の鉄塔が並んでいる……そんな情景を再現させると、抜群にウマイのである。
  これはとにかく私自身が宮崎県の田舎育ちだからに他ならない。 私の実家のある延岡市の情景ときたら……何せ市内の中心地に行っても高いビルというものが無い。 建物の密度が希薄なので、360度見渡すとビルの谷間のどこかには必ず農耕地帯か、すぐ近くまで迫っている山並みがかいま見える。 「このセット、ちょっとホリゾントが近過ぎない?」というような情景なのである。
  昭和30年代から40年代の初めにかけて作られた東宝の特撮怪獣映画には、当時の街並がミニチュアで良く再現されているようだが、延岡市は昭和60年代以降になってもそんな様子がまだ残っているものだから、高校生になってリバイバルで昔の特撮映画を観たって、そのミニチュアセットの生活感が他人ごとではナイように感じられてしまっていたのである。 我ながら、ケッコーな環境に育ったもんである。
  そんな郷里の情景が頭に強烈にインプットされたまんま消去出来ないので、今だに私は田舎の風景をミニチュアで再現するのが得意である。 というよりも、モダンな都市のミニチュアを組んでいるつもりでも、いつの間にか地方都市になってしまう。
  昔「つる姫じゃ〜っ」というケッタイな漫画があり、主人公のつる姫がデザイナー気取りで手製のドレスをせっせと縫おうとするのだが、今までゾーキンしか作ったコトがないもんだから、手が勝手にゾーキンへゾーキンへと完成を急いでしまうというハナシがあったが、それを彷彿とさせるものがある。

  ちょっと話があらぬ方向へ向かってしまったが、とにかくミニチュアの“使い回し”で出来るだけ数をかせがなければならぬので、例えば一軒のビルの4面ある壁のうち、2面づつ色や装飾を変えて、角度によって別の建物に見えるようにしたりとか、一度撮影した建物は塗装を変えて、別の看板をくっつけて再使用したりといった工夫をした。
  住宅のミニチュアは、大抵が他の作品のために作られたもので、実物の写真を参考にしたり、トミックスのNゲージ鉄道模型用ストラクチャーから寸法を取って拡大するかたちで作ったもので、主にベニヤで出来ている。
  屋根瓦は当初、一枚の原型を作ってシリコンゴムで型取りし、ラテックスゴムを流して作っていた。 ラテックスだと建物の形や大きさに合わせて容易にハサミで切って加工出来るからであるが、やはりゴムだと硬質感に欠けるというので後にFRPを流し込んで作り直した。

  ところで、ミニチュアセットを組んで撮影をする場合、皆さんは遠景をどのように処理しておられるだろうか?
  常識的に考えれば、まず手前から奥に行くにしたがって縮尺を小さくした模型を並べてパースペクティブを強調し、いちばん奥に少しばかり離して空色のホリゾントを立てる……たいていはこのホリゾントに遠景の街並、もしくは山並みを描いて奥行を強調するのではなかろうか。 私としてもこのスタンダードな方法で撮影をしたかったのだが、ここにふたつの問題があった。
  ひとつは、この作品は前述のようにいくつもの小さなミニチュアセットを組んで撮影したカットで特撮シーンをモンタージュしているのだが、ホリゾントはワンセットしかない。 そのため山などを描いてしまうと、どのカットになっても同じ山並みになってしまう……つまり、カットごとにホリゾントの山などをいちいち描きなおさなければならなくなる。 これは大変な手間である。
  もうひとつの問題は、遠景として観賞に耐える山並みなどを描けるほどの画力を持った人間がスタッフにいなかったのである。
  で、どうしたかといえば、つまるところその遠景もすべてミニチュアで再現してしまったのだ。 カポックのブロックを削り、山のかたちにしてオガクズを絵の具でグリーンに染めたパウダーを塗布したものをいくつも作り、その並べかえで様々な山並みを再現した。 多少空気密度を出すため、全体にグレー系のスプレーをうっすらと吹いてみたりしたが、結構感じが良かった。

  遠景の街並は、その昔タモリの「気分は最高」というTV番組があったが、あのオープニングに使われていた“書き割り”みたいなもんで、デコボコに切り出したベニヤ板に、適当に立ち並ぶビルを描き、窓の部分をくりぬいて裏から照明用フィルターを何種類か選んで貼っただけのもので、これも5セットばかり作って並べ変えて使っていた。
  さすがにデイシーンではシンドかったが、ナイターではそこそこ効果的だったように思う。

  さて、新規に作ったものでいちばん規模の大きかったのはコンビナートである。
  深さが20センチにも満たない小さなプールを組んで、そのむこうにガラクタで組み上げたコンビナート施設を並べて再現していく。 材料は主に空缶で、ビールや自動車用オイルの缶などが大活躍している。 それに木材やプラモデルの部品をくっつけて銀色のラッカーを吹けばコンビナートの出来上がりである。
  煙突は、DIY店で見つけたコタツの足である。
  キャメラ手前に写っている荷揚げ用の大型クレーンは、ペーパークラフトの要領で厚紙で組み上げたものだ。
  破砕されるビルは石膏製。 アルミサッシを窓から外してガラス面に離型のためCRCオイルを吹き、薄めに溶いた石膏を流す。 割れた時の断面が真っ白というのもヘンなので、石膏には少量のアクリル塗料(主にグレー)を混入しておく。 しばらくすると、裏側、すなわちガラス面が綺麗に平らな3ミリ厚ほどの着色石膏板が出来上がる。 こいつをカッターナイフで窓をくり抜いたりと丁寧に加工し、ビルの形に組み上げる。
  もともと厚みが無いので、特に切れ目などを入れておかなくても、ちょっとショックを与えるとうまい具合に壊れてくれたが、壊れやす過ぎるのも悩みのタネだった。

●戦い終わって日が暮れて……●

  ……とにかくこの作品では、過去に蓄積していたノウハウをメインに、新たな技法を試しつつ様々な造形に挑戦した。
  なかなかプロフェッショナルの仕事にかなわないことばかりだったが、この作品を作り上げた……という自信だけは、私の気持ちの中では大きな財産として残っている。 今まで蓄積してきた自分なりの特撮技術の集大成、おさらいのつもりで作り始めたこの作品、実際につくってみると新たな発見の連続で、改めて良い勉強をさせてもらった。
  いちばん実りとなったのは、実は自分の技量の限界を知り得たということで、この作品をベースにして自分なりに勉強し直したことも多々ある。 もっとも、それは特撮よりも本編ドラマ部分の演出と脚本執筆に関してのほうが多かったようにも思うが……。
  いずれにしても、「作り続けないことにはうまくならない。 理屈をこねるよりもまず実行。 失敗したら、それじゃダメだとわかっただけでももうけもん」と、強く教えられた作品だったように思う。 

●現在――そしてこれから……●

  現在のTEP作品は16ミリ、35ミリフィルムの導入と平行して、8ミリないし16ミリフィルムで撮影してテレシネ(ビデオコピー)したものをビデオ編集、その際にクロマキーを含む適度なDVE(ビデオ合成技術)を加味する、または撮影段階でビデオではあってもモーションコントロールを導入、一部には効果的なCGの使用も検討……といった方向に進みつつあり、フィルムのみにこだわることなく、限られた予算をいかに効率よく使って作品全体のクォリティーを上げていくかということに重点が置かれていくのであろうが、最近のハリウッド製映画を観ても、ナンデモカンデモCGというのではなく、効果的にミニチュア特撮を併用して、ミニチュアの実在感を高める手法としてCGを加えている、といった風潮も見てとれる。
  TEP作品でも、“後処理”ばかりに頼るのではなく、元来ミニチュア特撮の持つ独特の風合い、重量感といったものを大切にしたイメージ豊かな娯楽作品を作り続けていければ、と思っている。
  また近年、EGGSの穂山賢一との交流などにより、TEP作品のラインナップにミュージックビデオクリップなどが加わるようになってきている。
  そういった別種の作品においても、様々な特殊効果が有効に使えるようになれば、表現の幅が広がるのではないかと、個人的にイロイロとたくらんでいる今日このごろなのである。 


●最後に●

  今までこのコラムでは、我々TEPの、しかも宮本演出作品のみを取り扱ってきた。
  今後は、他のメンバーの作品で、私が様々なポジションで参加した作品の体験談や、TEP以外の作品に参加した際のエピソードなどをチマチマと紹介していきたい。
  川崎ヒロユキが掲載中の「宇宙大誘拐日記」などと併せてお楽しみいただければ、と思う。




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