メイキング・オブ・砂丘の残像

  この記事は、『砂丘の残像・全記録』(宮本拓 著)の中から抜粋された一部です。
  この本に興味のある方は、通信販売をご利用下さい。
  詳しくは、TEP活動情報!へ。


前書きにかえて……

  時々、映画関係の専門書を読んでいて本当にビックリするコトがある。ナニにびっくりするかと言えば、その本に登場する人々の記憶力に、である。
  例えば83年に出版された「東宝特撮全史」という大著では、円谷英二監督健在の頃、供に撮影現場で奮闘していた各パートのスタッフが、当時の思い出を語ったり、その作品で駆使した自身のノウハウを披露したりしているのだが、すでに30年近い昔に製作された映画の現場での状況を、実に細やかに記憶しており、それをあますところなく誌上で公開しているのである。 「ナゼ、そんなに物憶えがいいんだ、あなたたちは!」

  ――私は1989年に、当時では結構な大作であった自主製作SF映画『目覚めよと呼ぶ声あり』を完成させた。 この作品の製作には3年近くの歳月が費やされているし当時は「こりゃあ一生忘れないなぁ」なんて思わずつぶやいてしまうような経験を散々した。 いや、したハズだった。 しかし、この作品が完成してまだ10年も経っていないというのに、なんかヤッタはずのことを私はもはや3割ガタほど忘れてしまっている。 当時一緒に映画をつくっていたスタッフにつつかれて「ああ、そうだった」とやっと思い出すくらいである。私は、アタマが悪いのか?

  『砂丘の残像』という作品は、その製作過程が90年の夏と97年の春の2期に分けられるが、両方とも撮影中の記録スチルこそあれ、我々の作品としては珍しくメイキングビデオ映像というものがまったく残されていない。
  かなり早いスピードで私の記憶は風化していく。実際あの当時、仕事でもこんなこたぁほとんどやるチャンスはないと言い切れるホドのことを随分とやって、その日の夜はコーフンして眠れないこともあったのに、このザマである。 これは、イカン。 そのうち、おおかた忘れちまう! そればっかしは避けねばならない。
  そこで、粗末ながらもこのような本をこしらえて、当時の状況をすべて記録しておこうと思ったのである。

  この本には、当時の私と、手伝ってくれた大勢の仲間たちの作品を作り上げようとする熱意が、文章に変換されたかたちですべて残らず収録されている。中には状況のディテールにこだわるあまりにいささかグチっぽくなったり、直接映画製作とは関係のないような話題までも含まれているが、当時の様子をご理解いただくために退屈な文章になるのを承知で、書いた文章そのままを収録した。 また、ただの思い出話に終始するのもナンだから今後自分たちで映画をつくってみたいと思っている方々に少しでも技術的な情報が提供出来るように考慮しながら構成したつもりである。
  何せ自分たちのやってきたコトを本音で書いたものだから、完成した本が面白い読み物になったかどうかは私自身、まだ客観的には見ることが出来ない状態なのだけれど、これを読んだ方々のなかのたったひとりにでも、自主製作映画をつくることの喜びと、それに付随する数々の苦労をご理解いただければ、この本の使命は全うされたことになる。

『砂丘の残像』 朽ち果てた戦闘ヘリ 97式戦闘偵察車 砂漠の警備は退屈な任務だ 憧れのアフリカの地に 閉塞した空間 陽炎の彼方に…… 反乱軍主力戦車の砲撃 驀進する重戦車 隊員も負傷 敵の様子は…… いざ車外へ


脚本を、書くのダ

  当時、「自分は一体、ナニがつくりたいのか?」という実に根本的な部分での迷いというか、悩みというか、そんなものがアタマの中を渦巻いていた。 昔からモノを作ることが大好きだったし、映画を観るのも好きだった。その延長線上にズデンと腰を据えているのが、高校時代にこしらえた『巨獣戦線』だし、そのグレードアップ版というか決定版として完成させたのが『目覚めよと呼ぶ声あり』だった。 しかし、高校時代から書き蓄めたシナリオや構成案は特撮モノだけでなく、刑事ドラマありサスペンスものありファンタジーありコメディーありで、自分なりに読み返してみると、結構バラエティーに富んでいる。言っちまえば「なんでもあり」なのである。 つまりオレは、面白いもの――つくって面白く、観て面白いものならば何でもいいんだなぁ……などと自己分析してみて、それなら今度つくる短編は、思いっきり“趣味の世界”で遊んでみようかと考えた。 子供の頃から戦車のプラモが好きで、恐竜が好きだった。 そんなコトの中のいろいろ…それを一本の映画のネタとして前面にバーンと押し出してみたらどうなるのだろう…そんな考えが、『砂丘の残像』のシノプシスとして整理されていったワケである。


★『砂丘の残像』シナリオ執筆★

  実のところ、『砂丘の残像』は89年に新規に考えた企画ではない。 86年に製作した短編に『異端の森』というのがある。 この作品は15分程度の短編だが、当時この作品をプロローグとして、人間と恐竜の時空を超えた出会いを描く短編をいくつかつくってオムニバス映画にしようという個人的なタクラミがあり、その最終章として『砂丘の残像』の原案がすでに87年の段階でほぼ固まっていたのである。 これをキチンと書きおこしたものが、この作品の脚本となったのである。
  そのドラマ部分に関しては、「将来、映像演出家を標榜するからには、基本的なドラマ演出くらいはキチンとこなし得る程度の実力が欲しい」などと小生意気なコトを考えてしまい、とにかく意識的にスタンダードな人物設定とストーリーテリングを心がけてみた。 ちょっと奇をてらった演出やカットワーク、特撮とのカラミなどは、がっしりしたドラマの土台の上をコーティングする“味付け”として捉えて、不自然さが無いように全体を構築しようと考えた。そして短いドラマの中で、登場人物の性格づけ、その何気ないセリフのひとつひとつがクライマックスに関わる“伏線”として機能するように計算してみた。 何せ、メインのストーリーは装甲車の狭い車内で展開するという、密室劇に近いものがある。 その状況の中で、観客を退屈させることなくオハナシを進行させねばならないため可能な限りの工夫を凝らすことにした。 しかし短篇と呼べる上映時間の中では、伏線を張るにしても、ひとつの伏線に対する反応があまり時間を置かずに出てくると、映画としては味わいのない軽いものになってしまう。 そのあたりのバランスを調整しながら書き込んでいくと25分前後の作品になるだろう、と予測した。
  その時に考えていたのが、『砂丘の残像』のイベント用パンフレットなどにも書いていたこと――『目覚めよと呼ぶ声あり』は、自分たちの持つノウハウを再確認するつもりで、「特撮カタログ的」な構成によって“拡散”をイメージしたのに対して、『砂丘の残像』はそれまでのノウハウの一部を限定してグレードアップを図る“凝縮”をイメージした――というようなことだった。

 

『砂丘の残像』を初公開した『爆映展'97』。 満員御礼、立ち見まで出る大盛況であった。


トクサツって何だ?

★特撮が先か?本編が先か?★

  シナリオが完成した直後から、美術関係の準備を開始した。まずは特撮関係である。
  映画をつくる際、私は大抵の場合特撮部分から作業を始めることにしている。 とにかく時間がかかるから、先行して動かしていかないと、本編ドラマの撮影が始まってしまってからでは動きが取れなくなってしまうからだ。
  また、特撮のほうを先に撮影しておき、後々本編ドラマを撮ったほうが、技術的な問題が少なくてすむ。
  これは意外、と思われるかも知れない。 常識で考えればまず本編ドラマを撮影して、それに合わせてミニチュアセットを組んだりして特撮を行なったほうが良さそうなものだが実際に特撮エーガっちゅうもんをつくってみると、必ずしもそれがウマクいかないことに気づく。 つまり、ミニチュアの特撮や画面合成で絵をつくっていくというのは結構難しい作業であり、本編ドラマを先に撮ってそれに合わせて特撮をやろうとしても、なかなかマッチしてくれないのである。逆に特撮を先にすませて、その出来上がった映像を検討してそれに合わせて本編ドラマを撮ったほうがキャメラポジションや照明効果の面で“絵が合わせやすい”のである。
  これは我々の特撮に関するノウハウがまだまだ未熟だからで、特撮の絵はフィルムが上がってきてみないと出来上がりが100%予想出来ない部分があり、思惑と違って照明が暗かったり広角レンズの効果がイマイチだったりするため、その出来上がりの映像を見て割合とスタンダードな技術のみで撮影可能な本編ドラマのほうの照明やキャメラワークを特撮に合わせるほうが、統一感を出しやすいワケだ。
  『砂丘の残像』も、過去の経験を生かしてこのスケジュールで進めることとした。


戦車を、こしらえる

  まずは登場するメカニックの製作である。
  『目覚めよと呼ぶ声あり』の時は、その作品自体のスケール感をアップさせるため、これでもかと言わんばかりの物量を必要とした。 登場する戦車などの戦闘車両だけでも50数台に及ぶ。必然的に予算の関係で市販のプラモデルを多用することとなり、縮尺が小さくなってしまった。 これには苦労した。 小さい戦車のモデルを走らせてそこそこの重量感を出そうにも限界があり、苦労したワリには報われなかった。
  これに対して『砂丘の残像』に登場するメカ類の数は実に少ない。 一台あたりにかけられる時間も予算も『目覚めよと呼ぶ声あり』に比べれば潤沢になるワケだ。
  そこで、市販のラジコンモデルの部品を流用する関係からも登場するメインのメカの縮尺を1:15〜1:12前後と設定した。

97式の製作中。ネコの手も借りたい。


★97式戦闘偵察車★

  まず主人公たちの乗る陸上自衛隊の装甲車。 これは「97式戦闘偵察車」と命名した。海外に派遣された自衛隊が使う、機動性と信頼性に富む小型戦闘車両としてイスズが開発した…という設定である。
  下調べに現存する日本をはじめとした各国で使用されている偵察用装甲車の資料を集めそれにちょっとSF的なデザイン上の味付けをしたり、映像として捉えた時のボリューム感を計算しながらカタチを決めて、実際の製作に入った。
  TEPのSF作品でメカが登場する場合、可能な限りリアルなオリジナルデザインでいくことをポリシーとしており、その製作に当たっては外装を宮本――今回は安藤龍介名義でやらせてもらっているが――内部メカ、ギミックを後輩の佐々木君が担当することが多い。 『砂丘の残像』もその例にもれず、上部ボディーなどは宮本が3ミリ厚程度のプラスチック板から基本部品を切り出して、プラキットのパーツを流用しながら仕上げ、下部シャシーは佐々木君が担当した。

佐々木の作った97式のシャシー。


  彼のつくったシャシーは宮本の注文で、特に走行用の動力は搭載していない。 走行シーンの撮影はすべてピアノ線で引っ張って行なうことにした。 タイヤで走るメカの場合、このほうがスピードのコントロールなどがうまくいくのである。 ただステアリング機構だけはラジコンで操作出来るようにして、その他ちょっと大げさに見えるほどサスペンションが効くように作ってもらった。

完成した97式。


★“ムスタファ”★

  イギリスにヴィカーズという重工業メーカーがある。今世紀初頭から英国陸海空軍、そして輸出向けに兵器ばかりをつくっている世界最大の“死の商人”である。 日露戦争で有名になった日本海軍の戦艦「三笠」も、ヴィカーズの製品である。 ヴィカーズのつくる戦車はなかなか好評で、しかもこのメーカーは他国のメーカーのつくった戦車をグレードアップするユニットなども開発・販売している。
  “ムスタファ”の原型は旧西ドイツのクラウス・マッファイ社が製造したレオパルドという戦車である。 このレオパルドをヴィカーズ製のパーツでバージョンアップさせたものを中東の某国が輸入、“ムスタファ”と名付けた…というのが、この戦車の設定である。
  実際、ヴィカーズの戦車は中東などでも広く使われている。
  撮影用のモデルも、レオパルドのラジコンモデルをベースとして作られている(実際に使用したのは、レオパルドをベースに高射機関砲を搭載した“ゲパルド”という対空戦車であるが…)。 97式と同じく、駆動系統はラジコンに詳しい佐々木君にまかせた。

製作中のムスタファ。材質の違いがわかる。


  まず、イスラエルやイランなどで実際に使われている戦車の資料写真などを収集して、砂漠戦用戦車のデザイン上のクセというかニュアンスというか、そんなものを何となくつかんでおき、ラジコンのレオパルドの車体部品を切り刻んで形状を変えていった。 砲塔はレオパルドを筆頭とした様々な最新の戦車のデザインを参考に、プラスチック板で組んだものである。


★ハイスピード撮影を考慮したミニチュア製作★

  さて、このムスタファのシャシー部分、すなわち駆動関係を組み立てる際にちょっとした問題が起こった。 97式戦闘偵察車は8つのタイヤで走るので、撮影の際はピアノ線で引けばよい。が、ムスタファは戦車だからキャタピラを回して走らなければならない。 無論、ラジコンモデルのままでもキチンと走りはするのだが、それではスピードが遅すぎるのである。実在する戦車は重量が50トン近くある。 それが時速70キロ前後…戦闘中でも時速40キロ近くの速度で猛進するのだから、その重量感たるや凄まじいばかりのものがある。 それをミニチュアで再現するためには、スローモーション効果、すなわちハイスピード撮影しかない。

ムスタファに搭載されたラジコンメカ。


  車体の微妙な揺れとサスペンションの効き具合、キャタピラの巻き上げる砂の落下する様子などに「感覚的な時間を引き伸ばす」効果を持つハイスピード撮影によってリアルな重量感を与えることが出来るのである。 が、ラジコンモデルをそのまま組み立てると、肉眼で見る分には適度なスピードで走ってくれるのだが、ハイスピード撮影を考えるとあまりにも遅い。 少なくとも、肉眼で見るスピードの3倍くらいの速さで走ってくれないと、撮影用ミニチュアとしては役に立たないのである。 佐々木君と相談した結果、ラジコンモデルの駆動部分、すなわちギアボックスをグラインダーで切り刻み、ギア比をムリヤリ変えることによってスピードを上げることにした。

ムスタファのラジコンメカを調整する。


  この作業が大変で、作業場に置かれた大型クランプにギアボックスの部品を挟み、電動グラインダー片手にオーバーオールにゴーグルという完全防備で立ち、ギアボックスと対決する。グラインダーの威力に恐れをなした佐々木君の要請で、私がこの作業を行なうハメとなった。
  高速で回転するグラインダーの歯を、恐る恐る金属性のギアボックスに接触させると、映画「Uボート」の基地シーンにあった溶接の火花のように、大音響とともに凄まじい火玉が四方に飛び散るのである。 冷汗をかきながらの作業だった。

  そんな具合でこしらえたギアボックスを車台に据え付け、ラジコン用の強力なモーターを組み込んだ。 外形は宮本がせっせと作り、ようやく全貌が見えたのは作業開始から約一ヵ月後である。
  佐々木君に頼んでプロポだのなんだの、必要なメカを載せてもらい試運転してみると…走る走る!戦車のラジコンが、よく公園で子供たちが遊んでいるラジコンバギーなみのスピードですっ飛んでいき、ブレーキをかけても勢いがありすぎてすぐには止まらないホドなのである。これはちょっとした見物だった。

完成したムスタファ。


  この試運転を見ていた後輩が「早すぎて戦車の重量感がない」などと言いながら目を丸くしている。 オイオイ、勉強が足らんゾ。 肉眼で見た印象に惑わされてはイケナイ。 通常の2倍から4倍のハイスピード(スローモーション)をかけた場合の効果が見定められなければ、良いSFXマンにゃなれないぞ。 なんてエラソーなことをぬかしながらもご機嫌の私であった。
  ちなみに“ムスタファ”の砲塔旋回も当初モーター駆動を試みたのだが、砲塔の部品の重量配分の関係からか、モーター駆動ではうまく回ってくれなかったので、結局はこれもピアノ線による操演で再現することにした。 また、砲撃シーンでは火薬の電気発火による再現を予定していたため、学生時代の同期で中途退学してしまった内田君に連絡すると、真鍮パイプを旋盤で挽いて火薬使用が可能な砲身のパーツを作って、故郷の山口からわざわざ送ってくれたので、それを使用している。


★スケール違いのミニチュアを用意★

  ビッグスケールのミニチュアが完成すると、遠景用に使うミニサイズが欲しくなってきた。 そこで後輩の高橋君に頼んで、97式とムスタファの1:35モデルを製作してもらうことにした。
  ところが困ったことに、このふたつには図面がない。 そう、これは私の得意ワザで、オリジナルデザインのメカを作るとき、イメージを固めるために落書き程度のラフスケッチは書くものの、どんなに複雑なカタチをしていようとも図面というものを書かないのである。 イメージが固まったら、いきなり材料のプラスチック板にペンで線を引っ張って部品をナイフで切り出していき、それぞれを接着しながら角度などを微調整して組んでいく。 しかたがないので高橋君には完成したビッグモデルそのものを手渡して、それから寸法をとって製作してもらうことにした。 結果は実にマンゾクするもので、彼の手先の器用さにはアキレた。 私の手元に、でっかいのとまったくソックリなちっこいのが届けられた時にはあまりのソックリさ加減に開いた口がふさがらなかった。

ムスタファの大小ミニチュア。


  もうひとつのメカは劇中“レスキューバード”と呼ばれている汎用のVTOL(垂直離着陸機)である。
  これは本来は「スカウト」と命名されている小型機で、ジープ一台と完全武装の一個小隊を輸送出来るアメリカ製のVTOLを日本の川崎重工がライセンス生産しているという設定である。

制作中のスカウト。


  これはすべて宮本による製作で、市販の1:32スケールのヘリのプラキットを利用して、胴体と主翼をバルサ材の削り出しで作ったものである。航行ライトが点滅する以外、特に内蔵メカはなく、ピアノ線で吊れるように作ってある。

完成したスカウト。


★タフなミニチュアが欲しい!★

  ――以前、川崎ヒロユキ君が監督した子供向け特撮映画『地底鉄神マグマテウス』で特撮監督を担当したことがあるが、この映画の撮影中に最も手を焼いたのが「アングラン」と呼ばれる地底戦車だった。
  この戦車の走行装置はコンピュータ制御で、例えば1メートル走って左に45度旋回して再び走るという動きをプログラムすると、何度でもその動きを繰り返すからキャメラテストにも便利という、一見スグレモノだったのだが、いざ撮影で使用してみると、ミニチュアセット上に蔓延するホコリの影響なのか、内蔵したコンピュータユニットがダダをこねてマトモに動いた試しがなく、そのメンテナンスに時間をとられて撮影が深夜にまで及ぶこともあり、ひどくイラついた記憶が頭に焼き付いている。
  その教訓から、撮影用ミニチュアは苛酷な現場の環境に耐え、万が一故障してもすぐに修理が出来るように可能な限りシンプルな内部構造で組み上げることを身上としている。
  『砂丘の残像』のメカもそれに則したポリシーで作られているのである。

  当時の記録によれば、特撮のクランク・インは90年8月14日となっている。
  この時期は学校も夏休みに入っており、学生寮に居残り組の後輩がスタッフとして手伝ってくれたり、なかにはこの撮影のために休みを切り上げて故郷から帰って来てくれた奴もいて嬉しかった。 その反面ちょうどこの頃、実際に中東…詳しく言えば湾岸の方面がちょいと騒がしくなってきていた。 これにはどうもイヤな予感がした。


★フィルムのこと、露出のこと★

  ――それはさておき今回の撮影は、キャメラはフジカZC1000を使用して撮影は原則としてすべて太陽光を生かせるオープンセットで、タングステンのRT200(室内用)フィルムを使用しての撮影と決めた。 
  それはナゼかと言えば…。
  特撮の根本的なテクニックのひとつに「被写界深度を深く設定する」というのがある。 被写界深度とは、カンタンに言っちまうと“画面内のピントが合っているように見える範囲”である。 ミニチュアを撮影する時、被写界深度が深い…すなわち、画面の手前から奥までピントが合っていると、本物の大きさに近く見えてしまうものである。 これは、ある意味では人間の目の錯覚を応用したもので、例えば10円玉を顔の前に持ってきてそれを凝視すると、10円玉にはピントが合うが、その背景の部屋の中などは何となくボケて見える。 また外を歩くと、すぐ手前を歩く人や自転車にも背景の建物などにも、つまり目に見えるすべてのものにピントが合って見える。 これはあくまで感覚的なモンダイなのだがそんなコトから、ミニチュアを撮影する時にメインの被写体にだけピントが合っていて、その手前や遠景のミニチュアセットがボケていると、人間は感覚的に「小さいミニチュアを大写しにしている」と思ってしまいがちなのだ。 逆に、ミニチュアでも近景から遠景までピントが合っていると、自分が街中を歩く時の風景の見え方に似ているため「これは広くて、大きなものなのだ」と、感覚の面でだまされてしまうのである。
  逆もまたしかりで、本物の飛行機やクルマを撮った写真でも、わざと被写界深度を浅く設定して背景をボカすと、模型の写真のように見えてしまうこともある。
  被写界深度を深くとるためには、キャメラの露出を絞りこめばよい。 メガネをかけている視力の弱い人が、何かをよく見ようとするとき、目を細めることがあるが、これは目にもレンズがあるのだから、目のレンズに入ってくる光の量を目を細めることによって少なくしている…すなわち、露出を絞っているのである。 こうするとピントが合いやすくなるわけで、それと同じことである。
  しかし、そのまま露出を絞りこんだのでは、被写界深度が深くなると同時に画面も暗くなる。 だから、f16〜22くらいまで絞りこんでも明るく写るように、高感度フィルムを使う必要がある。 そのためのRT200なのである。
  もうひとつ、私自身がタングステンフイルム特有の粒子と中間色の風合いが好きだからという理由もあるんだけどね。
  室内用のRT200を使って太陽光下で撮影すると、カラーバランスがくずれて青くなってしまうが、これは色温度変換フィルターのW10あたりをレンズに装着することによって解決できる。 この方法によって、オープンセット撮影で2〜4倍のハイスピード撮影を行なっても、最低f11程度まで絞れる条件がそろった。

「目覚めよと呼ぶ声あり」で使用されたメカが再登場している。


★特殊な砂との戦い★

  これ以降の作業は、すべてが“砂”との戦いとなった。
  次なる撮影は、廃屋にうずくまる97式なのであるが、バックの関係もあって前述のセットの面積すべてを砂で埋め、そこにセットを据え付けることになる。 砂は本物を使うとその粒子の大きさがミニチュアの縮尺と合わなくなってしまうため、特殊なものを使用している。主となる材料はセメント粉で、これに砂漠の砂特有の色合いを出すために木工用の「との粉」や建築材料の「壁土」を大量に混入して作ってみた。
  しかし、これにはちょっと問題があったようある。 大きな金属性の箱にこれらの材料をブチ込んでよくかき混ぜるわけだが、シロウトだから考えナシもいいとこ、内容物が化学反応を起こしてしまったらしく、しばらくすると少量のガスが発生した。 これがどうもすえたような匂いでいただけない。しかも長時間皮膚に付着すると、場合によっては湿疹が出てしまう。 それだけならばまだいいが、「壁土」には補強材として微細に砕かれたガラス繊維が入っていたらしく、風が吹くとこいつが舞い上がって、我々のまわりでキラキラ光っているのである。繊維と言ってもガラスである。 知らず知らずに皮膚を破って毛細血管に入り込み、心臓に到達してダメージを与え、寿命を縮めると言われているシロモノだけに、このキラキラにはゾッとさせられた。 加えて炎天下の撮影でスタッフ全員汗ばんでいる。この「キラキラ入りガス放出セメント」が腕や首周りにベットリと付着して、汗が濁る。

これが問題の「キラキラ入りガス放出セメント」の砂丘。


  この時ほど、家に帰ってフロに入るのが楽しみに思えた撮影は他にはない。 今回は砂の材質選びに失敗したワケであるが、結局はどんな材料で砂漠を再現しても、ヒドイ目に会うことには変わりないと思う。 この撮影を通じて私が学んだいちばん重要なコトは「今後砂漠戦の特撮は頼まれても絶対やらない」ということである。


★パイロ・テクニック★

  ハナシが脱線してしまったが、廃屋のシーンで難航したのは火薬効果を使用するカットだったと記憶している。 ムスタファの砲撃で、97式の周囲に火柱が上がる絵である。
  こんなコトを書くのはいささかモンダイなのだが、この当時我々の仲間内には誰ひとりとして火薬取り扱い免許を取得している人間はいなかった。 これは数年前に遡っても状況は同じで、『目覚めよと呼ぶ声あり』以前から、市販の花火の火薬を調合したり、学校関係者のコネで入手した少量の劇用火薬をちびちび使ったりして何とかヤリクリしてきたのだ。ただ、そんなコトをしているうちに我々特有のノウハウも蓄積されてきていて、それなりの自信があったのも事実である。ところが、今回ばっかりはどーもイケナイ。 後輩の鈴木君をはじめとする数名がこの特殊効果を担当していたが、火薬がシケッているのか、うまい具合に炸裂しないのである。 これはかなりリテイクを繰り返したが、なかなか納得のいく「力感のある爆煙」を再現出来なかった。

  ――ミニチュア特撮で使う火薬は、破壊力があればいいというものではない。 そっちのパワーはそこそこでよい。 破壊するミニチュアのほうを壊れやすく作ればよいからだし、そのほうが良い結果も多く生まれる。 出来れば、音だってしないほうが撮影現場の周囲に迷惑をかけず好都合なホドなのだ。 とにかく、飛散するブツの破片、広がる煙、場合によってはそれにプラスしての火炎の大きさ、速度などが、ミニチュア撮影特有のハイスピード撮影をした場合に調和がとれていることが望ましい。 そのためには、画面上で一回に見える爆発を再現するのに、一発の、そして一種類の火薬を使っていたのではウマクいかない。 ミニチュアを破壊する火薬、煙を見せる火薬、閃光を見せる火薬など、数種類のものを同時発火させて、一回のボリュームある爆発に見せるのがもっとも効果的だしそれぞれをほんのコンマ何秒ズラして爆破するのも、爆発自体のフォルムに変化が出て良い感じに撮れる。 この方法論は何かの専門誌などを読んで得た知識ではなく、我々自身が映画づくりを通して培ってきたかけがえのないものだ。 『目覚めよと呼ぶ声あり』の際はこの方法論に則って、最高5種類のまったく質感の違う爆発を見せる火薬を同時発火させたりといったテクニックも用いている。

ムスタファの至近距離で火薬が爆発。


★爆走ムスタファ!★

  ――これからの数日間は、砂漠の真っ只中を爆走するムスタファを撮影するための悪戦苦闘が続くことになった。
  とにかく、ものすごいスピードなのである。 このくらいの速度で走ってくれないとハイスピード撮影の効果が出ないのではあるけれど、ちょっと油断するとセットの上からすっ飛んでいきそうな勢いで、セットから落下して木っ端微塵になっちまうんじゃないかとスタッフ全員気が気ではない。

ムスタファの走りを手持ちキャメラでとらえる。


  急遽セットを2.7メーター×3.6メーター程度の面積にして、ムスタファが動ける範囲を出来るだけ広く設定した。
  セットの端に置かれたムスタファが「ヨーイ、スタート!」でセットの対角線を走りきる間、約3秒。 ムスタファのラジコン操作を担当した後輩は、ただでさえ砂に足場をとられて蛇行しがちなムスタファを何とかまっすぐ走らせるため、しかもこの3秒という凝縮された時間の中で、コンマ何秒のタイミングでコントロールレバーを上下させようと目を血走らせている。 私は私で、中腰の体勢のままZC1000を構えて、キャメラサイドに踊りかかって来るムスタファを必死になってフレーム内におさめようとする。 とてもじゃないが、そうそうウマク撮れるものではない。 しかも、ムスタファの周囲では火薬が炸裂しているし、ムスタファ自体、砲撃しながら走行しているのだからなおさら難しい。 カオが砂まみれになるわ、キャメラも砂かぶってメンテが大変だわで、まったくヒドイ有様が延々と続いた。

砂にまみれたムスタファのラジコンメカを点検中。


★“走り”のイメージ★

  何もムリして手持ちキャメラで撮らずに、レール移動で速度を計算して落ち着いて撮りゃいいのに…と指摘されそうだが、これにはワケがあった。
  そう、この戦車を撮っているとき、私の頭の中には結構明確な、あるイメージがあったのである。 その昔「野性の王国」なんていう動物ドキュメンタリー番組があったが、あのテの番組で懸命に走る野性のサイやバッファローをランドローバーで追っかけて撮影している映像がよく登場した。 手持ちキャメラのブレブレの絵で、バッファローをフレーム内におさめようとするキャメラマンの息づかいまで聞こえてきそうな、異様な緊迫感のあるドキュメンタリー映像。
  ――まさに、あのイメージだったのである。
  あの、野性の生命力を爆発させていた動物たちを私なりに戦車に置きかえたのが、今回の戦車走行シーンだったのダッタ。 ちょっと偉そう…。
  つまり、そういうドキュメンタルな味わいのある絵を撮るには、原始的な手持ち撮影がイチバンなのである。

砂漠のムスタファ。


  実際、ムスタファを走らせること自体にも結構苦労した。 ギアボックスをブッた切ってギア比を無理やり変えてしまったのが裏目に出たのか、はたまた足回りにまとわりつく砂が余計な負荷をかけたのか、猛暑が原因なのか、モーターが異常に加熱してしまってプラスチック製のボディーの一部をグニャリと溶かしてしまうほどになってしまうのである。 クルマで言えばオーバーヒートだ。 仕方なく、合間に数分間休ませながらの撮影となったが、「アングラン」の教訓で大きなトラブルは他になく、多少の故障もタチドコロに修理が可能で、なんとか撮影終了まで持ちこたえさせることが出来たのは幸運だった。


★ドラマの演出、特撮の演出★

  さて、撮影状況の説明に入る前に、ちょいと偉そうなインディーズ作家のタワゴトではあるが“現場の演出”というものについて私が考えているコトを書いておきたい。

 

 

ゴーストタウンのセット。


  私の撮影の場合、スタンスというかものの考え方は、本編ドラマも特撮もあまり変らない。 ひとつのセッティングが完成すると、その中で撮れる被写体の“イイ表情”というのはとりあえずインサートカットとして押さえておく。 女優を撮っても戦車を撮ってもこれは同じことである。
  演出プランに一本スジを通しておき、脚本上必要なカットを撮ったならば、あとは編集のコトを考えるべきである。 素材が多いということは編集時の選択肢が広がって予定以上のイメージを膨らませるチャンスが与えられることになるのだから、演出家はこのあたりでネバらなけりゃいかんと思う。 「オレはムダなことはしない。 必要なカットしか撮らない」なんてベテランぶって言う映像作家がタマにいるが、そういうヒトの作品に限ってカットワークが物足りなかったりするもんである。 まぁ、ヤミクモにいっぱい撮って時間ばかりがかかり、編集時にほとんどがカットされるなんていう要領の悪いヒトもプロ・アマ問わずいるワケで、それも考えモンだとは思うが……。 ただ、演出プランがしっかりしていれば、おのずと現場で「必要な絵」というものがわかってくるんじゃないかなと思う。
  もうひとつ。 この作品に関して、私は本編ドラマも特撮も、絵コンテはまったく書かなかった。 それまでの経験から、何となくコンテを切らなくてもつなげられる自信があったからなのだが、最近になってこれにはチョット反省している。 自分で書いた脚本を自分なりに熟読して、ボールペンで簡単に線でも引っ張っときゃ、ちょいと慣れた人なら複雑なカッティングでも「順撮り」せずにつなぐことが出来る。 私もその“慣れ”に甘えてしまったようだ。 絵コンテには、ふたつの意味がある。 ひとつは絵がキチンとつながるように計算する検討材料として、必要なカットをまとめておくということ。 そしてもうひとつは演出する本人以外のスタッフにも絵のつながりを口で説明するだけではなく、実際に絵で見せて理解を求める、ということ。 私は後者を怠った。 無論、一緒に作業してくれた後輩や友人たちは昔からの映画仲間だからコンテがなくても私の言ったコトを理解してくれて現場での作業はことのほかスムーズに進んだが、いつもこうだとは限らない。 やはり撮影の検討材料としての絵コンテは、粗末なものでもいいから準備するべきだろう。 特に自主製作映画をつくりたいアマチュアの方に対してはこれを強く勧めたい。 多少カットがつながっていなくても、すべての観客がそのクォリティーを「若さ」とか「いきおい」とかいう言葉で許してくれるだろうという考えは、作り手サイドの勝手な“甘え”である。 本来はカットがスムーズにつながっていなければならないのに、そうなっていないものを実験映画的な面白さ…と称するのも、単なる“逃げ”だと思うし、真剣に実験映画をつくっている人たちに対して失礼である。 アバンギャルドな作風というのは、その本質を知ってつくっているからこそ「良い」のであって、本来の演出意図とは裏腹にアバンギャルドなつくりになってしまったのでは、失笑を買うほかない。 
  ただ、ひとつ注意しなくてはならないのは、コンテを書いた演出家本人が、そのコンテに縛られて、撮影という行為がいつのまにか「コンテを消化するだけ」の作業にすりかわってしまい本来の意味での演出という作業からかけ離れてしまうコトが往々にしてある。 コンテに書かれたこれだけのカットを撮りさえすれば、この作品は完成する……というように一瞬でも思ってしまっては、演出という仕事はブチ壊しである。
  コンテは「宿題」ではない。 「材料」である。 それを料理する腕前が「演出力」だということを忘れてはならないと思う。
  ――なんだか説教臭くなってしまったが、最近は仕事でもコンテを書くことは少なくなってしまったので、そろそろ初心に戻ろうと思っている。

ゴーストタウン。97式がガレージにつっこむ瞬間。

 ナゼ急にこんな映像のモンタージュに関して長々と書いたかと言えば、このゴーストタウンのシーンは現場の思いつきで撮ったインサートカットが結構重宝して、緊迫感を盛り上げるのに役立ったからなのである。 細かいカットの積み重ねは緊迫感を生む。 例えば、ガレージで待ち構える97式のカットや、ムスタファのキャタピラのアップなどをちょっと余分に撮っておいたのが、絵のスムーズな流れを助けてくれた。


本編

★登場人物の横顔★

  今回の主要な登場人物は5名。
  97式の搭乗員として、主人公格の「枯沼」。 ドライバーである彼はちょっと内向的な感じで、他の者より大人しい。 だが、胸のうちに秘めた何かがかあり、それを自分なりに大切にしようと考えている。 ただ、そのためには生き残らなければならない。 生き残るためには、自分に与えられた仕事――この車体を手足のように扱う――を、きっちりこなさなければならない…。 そのことに集中する彼は戦闘中は極端に口数が少ない。 本来はスポーツ系には無縁の男のはずで、陸上自衛隊での職務は彼にとって苦手なメニューが目白押しなわけだから、そのぶん他の者より勤務中の緊張感は高いのかも知れない。
  枯沼役には、後輩の北村君を選んだ。 多少細面でメガネをかけ、大人しそうな風貌を買った。 本来の彼はよくしゃべり、よく食う男である。
  そして、97式のコマンダー(車長)の「尾瀬」。 風貌のわりに、彼は若い。 他の者とひとつふたつしか歳は変わらない。 彼にとっては多少重いかも知れない、指揮官としてのポストに責任感を持ち、戦には負けても部下をとにかく無事に帰さなければならないと思っている。が、そんな自分の思いはオクビにも出さない。 自分のような人間が感情を表に出すことは、部下に不安を与えてしまうと思っている。
  尾瀬役は、北村君と同期の斉藤君。 彼は『目覚めよと呼ぶ声あり』でも戦車隊の副官として登場している。 ヒゲをたくわえ、何かしらドッシリと腰を据えた雰囲気が良く、尾瀬の適役と判断した。 実際の彼は風貌に似合わず妙にキッチュな人である。
  ミサイル射手の南条。高校時代あたりに遊び人だった彼は、目的も持たずに自衛隊に入隊した。 しかしここで戦闘車両の射撃手としての訓練を受けて、自分のポジションが確立されたことにプライドを持っている。 そのため、大学を卒業して入隊した優等生的な枯沼に、ある種のコンプレックスを持っている。反面子供っぽい部分もあり、潜在的な仲間意識を大切にする。 自分の乗る車両には、郷里にいる恋人の写真を必ず貼る。
  当時、南条役はやはり後輩の渡辺君にお願いした。 ちょっとヤンキー風だが、実際は実直でマジメな彼の雰囲気に惚れてのキャスティングだった。が、完成作品では南条役はまったく別人――後輩の瀬川君――が演じている。 これに関しては後に述べよう。  無線手の新村は、「農家の次男坊」的な人なつっこい性格。 南条とは正反対ではあるが妙に気が合い、任務以外でもよく“つるんで”いる。 いつも笑顔で気持ちの優しい男であるが、反面無線系統に関してはエキスパートで指揮官の尾瀬も全幅の信頼を寄せている。 新村役は、口の上のホクロも特徴的な丸山君。 彼の場合、この役柄はちょっと丸っこい体型が南条とは対照的だし、キャラクター自体「地」で生けると読んでのキャスティングである。
  そして、冒頭に登場する偵察連隊長「榊原」。 典型的な中間管理職肌ではあるが、いつも飄々としていて憎めない男である。 まるで仕事慣れした中学あたりの教師のようで、特に好かれることもないが、嫌われることもない。
  役柄としては、けっこう難しい榊原は、当時は先輩の八木さんにお願いして快諾もいただいていた。 しかし南条と同じく完成作品のキャスティングは別人――山岸サン――である。これも後に述べよう。

  ――前もって出演者にシナリオを渡し、それぞれの役柄に対しての私のビジョンを簡潔に説明する。あとは各人の個性にまかせる。 そしてリハーサルや実際の撮影段階で彼らの表情やセリフまわしを見せてもらい、私のイメージに近くなるように微調整をさせてもらう。 大抵はこの実にスタンダードな段取りでの演出を心がけており、キャラクター性の不要な「膨らまし」で各出演者が混乱しないように注意している。 ただ、出演者側から提案されるアイデアなどは大切にするようにしている。 演出が、その場のアイデア先行で暴走して、演出そのものが出演者の「足枷」にならないように、そして出演者側と演出側の認識の違いを、「すりあわせ」の繰り返しでうまくまとめ、「その人を選んだ」というキャスティングの意味が無くならないように気を配る……このあたりのバランスは、いつも難しいなぁと思う。

  『目覚めよと呼ぶ声あり』は89年末に開催された東京学生映画祭で初公開されたワケだが、このイベントを通して私は穂山賢一君という男と親しくなっていた。 彼も学生時代から映画をつくっており、それと平行してオリジナルの音楽創作活動も地道に続けていた。他の仲間と「EGGS」というクリエイト団体を主催して、かなりユニークな活動を展開していた彼と私は妙にウマが合い、お互いの自主製作映画の現場でもフォローし合う仲になっていたのである。
  そんな彼が96年の夏に、自分のオリジナル10曲それぞれに様々な自主映像作家のつくったビデオクリップをくっつけて公開するというなかなか面白い企画をブッ立てて、成り行き上、私がそのうちの一本を製作することになり、また他の作品のビジュアル面でも総合的にスーパーバイザーを担当することになった。 これは前年の95年頃から仲間うちでの自主製作映画熱が高まったひとつの結果とも言える。


★インディーズムービーフェスティバルに入選★

  そんなコトに誘発されて、仕事のほうでも落ち着いてきていた私は個人的に自主製作映画活動を再開することに決め、手始めに『目覚めよと呼ぶ声あり』のビデオ版を全面的に改訂して、当時募集していたレントラック・ジャパンのインディーズムービーフェスティバルというコンテストに応募することに決めた。 それと同時に、ようやく数年間寝かせておいた『砂丘の残像』の作業再開を決定したのである。

レントラック版『目覚めよと呼ぶ声あり』のパッケージ。


  97年初頭、ようやくレントラックから連絡が入り、『目覚めよと呼ぶ声あり』が約730本の応募作品の中から最終選考の30本に選ばれ、TSUTAYA系のレンタルショップの店頭に並ぶことになったと知らされた。 これは幸先がヨロシイ。 仲間たちも喜んでくれたのだが、ここに至って私は皆に『砂丘の残像』を完成させること、同時にそのプレミア上映として6月に映像個展を開催、それに間に合わせるスケジュールで動くことを伝えた。 96年に穂山君の映像ライブを手伝ったこともあって、その恩返しとばかりに彼とその仲間たちが全面的にバックアップしてくれることになった。


どーすんの

  『砂丘の残像』は、言ってしまえば“未完成映画のリメイク映画”である。
  と言うのは、私は作業を再開するにあたって、90年の段階で撮り損ねた部分だけを新たに撮影するのではなく、シナリオの練り直しから始めて、すでに撮影は終了しているものの不本意な部分の多かった本編ドラマ部分のセット撮影シークェンスをすべて撮り直すつもりでいたのである。


★新発想・ビデオの活用★

  同時に、ここ数年考えていた映画製作の方法を実行に移すことを決心した。 今までは8ミリフィルムの“質感”にこだわり、映写機によって上映することを前提として映画を作ってきた。 今後は順番からいけば16ミリフィルム作品にステップアップするべきなのだが、その前にちょっと試しておきたいコトがあったのだ。
  私が一時、カラオケビデオの仕事に従事して様々なビデオ効果(DVEと言われてる)の勉強をしたコトは前に述べた。 その時から蓄積していたノウハウを、存分に使ってみたくなったのである。 具体的に言えば、特撮シーンはハイスピード撮影の可能な8ミリで撮影して、本編ドラマ部分は現場でモニター確認の出来るVTRで撮影する。 8ミリフィルムのほうは業者に委託して業務用のベーカムにテレシネしてもらい、作品全体はビデオ編集する。 その際、VTRで撮影した部分に「フィルムトーン」の効果をかけて、双方の落差を極力少なくする…。「フィルムトーン」に関しては、専門の機械を使用して効果をかける以外に、編集スタジオにあるイフェクトをいくつか併用して同じような効果を出す、かなり個性的な方法がある。 私はカラオケの仕事をとおして、これらのイフェクトに慣れ親しみ、自主映画でも使ってみたくなっていた。
  また最近では、大映写用のビデオプロジェクターの性能が向上していて、フィルムにこだわらなくてもVTRによる劇場での大映写が可能になってきているので、昔にくらべて“フィルム作品”というものに対してのこだわりが薄まるかわりにVTRの有効性に注目し始めていたのである。 つまり『砂丘の残像』は、当初8ミリフィルム作品として企画されていたものではあるが、それを変更して、VTR作品として仕上げ、その際に仕事を通して蓄積したVTR関係のノウハウを最大限に使ってみよう、と思ったのである。

  フィルムをテレシネしてビデオ編集すれば、フィルムとビデオの美点を両方生かせる、という考え方である。 8ミリフィルムは、劇場用35ミリなどに比べれば解像度は落ちるが、その質感はなにものにもかえがたいものがある。 ところが、ネガが出来ないリバーサルフィルムの悲しさで、撮影後の画像処理――色調補正からフェードイン・アウトそして多重合成に至るまで、劇場用35ミリ映画ではオプチカル処理により、ごく普通に使えるテクニックが、8ミリでは前述したエリアル合成機などの複雑な機器を自作しない限りまったく不可能である。 しかも、撮影したフィルムイコール映写する完成品のフィルムというカタチであるから、編集が大変で、一度切ってしまうとキズが付くので修正がきかない。 ところが、フィルムで撮った映像をビデオ化して、ビデオの編集技術を使えば、それらの難題がいっきに解決する。 加えてビデオ映像もフィルム・タッチに仕上げて併用出来るのであれば、表現の幅が広がるばかりでなく、経費の削減にも役立つのである。


つくるドー

  キャスティング、関係者への詳細な連絡と前後して、前回の撮影で不満足だった部分、特に美術部門を充実させる努力を始めた。97式内部のセットと衣装…このふたつが、90年の撮影でもっとも不満の残った部分だったので、ここの“練直し”に手を付けた。


★衣装の調達にひと苦労★

  まずは衣装である。 車内のシーンが多く、劇中のほとんどは前線での戦闘服姿となるため、これを出来る限り充実したものにしたい。宇野沢君に手伝ってもらって全体のデザインを決め、基本的には彼の所有する軍用の作業着をベースにして、必要なものは新たに買い足すことにした。 突然慣れぬ砂漠地帯に派遣させられた自衛隊だという設定に基づき、上下グリーンの作業服に、その上から砂漠迷彩の防弾チョッキをはおり、戦車隊員特有のヘルメットなどの装備を身に付けている、という格好にした。 ヘルメットは、現存の陸上自衛隊の戦車隊員用のものをベースとしたオリジナルデザインで、若者のテッポーごっこ(サバイバルゲーム?)用のプラ製米軍ヘルメットの耳の部分を切り取り、自作のヘッドセットを取り付けた。 胸元にブラ下げている車内通話装置とケーブルは、家庭用電話の安いスペアパーツに細工したもの。 全員がヘルメットにゴーグルを装着しているが、これなどは日曜大工用のビニール製、500円程度のものを着色したものですましている。 コマンダー役の尾瀬だけは赤外線暗視装置(ノクトビジョン)を被っている。 これも様々な電化製品のスクラップを使って自作した。 この暗視装置のレンズや双眼鏡は、世田谷のボロ市で買い求めたものだ。 いやはや、工夫次第でソコソコ見栄えのするものが安価で出来るもんである。 迷彩の防弾チョッキ(正確にはボディアーマー)は、米軍の払い下げ品だとよく見かけるし、まるでサバイバルゲームをやって遊んでいるように見えるから避けたほうがよいと言う宇野沢君のアドバイスをもとに、ちょっと珍しい柄のイギリス陸軍用のものを何とか見つけて買いそろえることにした。 グリーンの下地にデザートイエローの迷彩チョッキの組合せは、カラーコーディネイトの面でもなかなか絶妙だったと思う。 また、冒頭のシーンで連隊長の榊原が被っているPKOのキャップも実際のPKO活動で使用された本物である。 これらの衣装のほとんどは、都内各地の軍装品専門店を宇野沢君と一緒にかけずりまわって見つけたものである。

 

製作されるヘルメット。


★97式車内セットへのこだわり★

  つづいて、いよいよ97式の内部セットである。 基本的には90年版のセットの設計を踏襲しつつ、新たに入手した実物の資料や、リライトされたシナリオ上の人物の動きなどを考慮しながら設計し直したものとした。 無論、人物4人の顔それぞれが、他の者の影になってキャメラで捉えきれないといった悪影響が出ないように考慮しつつのレイアウトである。
  97式の基本構造は、前方に4名の乗員の乗る比較的広い居住空間と、中央部にミサイルや砲弾を収納し、それらの自動装填装置が収められた無人戦闘室があり、その後にエンジンルームがある。 この3つの区画はそれぞれバルクヘッド(隔壁)で仕切られており、無人戦闘室の天井に、やはり無人の砲塔があるという設定にした。
  通常の砲塔を持つ戦車や装甲車の場合、居住区画の中央に上部の砲塔から下にのびているバスケットという部分があり、ここに指揮官や砲手が乗って砲塔と一緒に旋回するようになっている。 映画的な観点から言えば、このような構造のほうが画面構成に変化や動きが出て好ましいのであるが、逆にバスケットを作ることによって4人それぞれの座る空間が隔絶されてしまってドラマが進行させづらい――座っている場所が違うので、セリフの度にカットを割ることになり、イマイチ情緒がない――という問題もあるしまた、将来の戦闘車両は身を隠して敵に攻撃を行なっていても、比較的高い位置にあって被弾する確立の高い砲塔を無人にする方向に進化するという説や、航空機による空からの攻撃(トップアタック)にも砲塔が無人であるほうが人的被害が少ないという説などもあったので、それに従って戦闘室も砲塔も無人で、乗員はすべて居住区画にまとめることにした。 全員がほぼ前方を向いているというレイアウトになってしまうので、一見カット割りが難しいようにも思うが、かえってそのほうが各人の表情の対比を捉えられて良い結果が生まれると信じた。

★材料の買い出しで破産状態★

  まず、工作用の厚紙を使って実際に製作するセットの1:15模型の製作から始めた。 これは「マケット」と言われるもので、これをもとにしてセット製作に必要な各種材料の分量を割り出したり出来る他、立体的なキャメラワークの検討なども可能となる便利なものだ。 マケット製作はTEP作品としてはお馴染みの作業行程で、過去にも原田勇君が87年に監督した『疑惑の方程式』の宇宙船コクピットや『目覚めよと呼ぶ声あり』の司令センターセットなどではマケットが準備されて、作業の合理化が図られている。

セット建て込み用に準備された1:15のマケット。


  さて、マケットにより必要となる材料がほぼ確定し、ゴールデンウィーク突入と同時にセット建て込み開始というスケジュールを立て、4月26日に私と桜井君、宇野沢君3名で砧の東宝撮影所近くのDIY店まで勇躍買い出しへと出かけた。 これがまた豪快な買物で、スチレンボードや角材といった基本材料から、水道の蛇口、電話の部品、果ては便器のフタまでも普通に考えればタダのゴミとしか思えないようなワケのわからぬ材料を片っ端から買い集めてはクルマに積み込む。 総額なんと15万円也。
  これと平行して、秋葉原界隈に詳しい高山君に案内を頼んで、セット装飾用の各種スイッチ、ダイヤル類の買い出しにも出かけた。 こういったものはチマチマと自作するよりは思い切って市販の、本物の各種機器に使用されているものを買ってきたほうが手間も省けるし、セットのリアリティーも増す。 私自身そっち方面はまったく疎いので、電子部品専門店なんぞに初めて入ったが、とにかく見るだけで欲しくなりそうなスイッチ類が山のように置いてある。 それを、昔の駄菓子屋で10円菓子を買うようにザルにどしどし入れてレジへ持っていく。 調子に乗って大量にザルの中に放りこんでしまったのだが、レジスターの数字を見ていてアオくなってしまった。スイッチって、そんなに安いもんじゃないのね。 200個近い大小スイッチ類を購入して、代金約5万円也。 この段階で、セット材料費や衣装代を含めてモハヤ破産状態だったのだが、とりあえず友人から一時借金するなどして急場をしのいだ。 カネがないなんて言ってるバヤイではない。 とにかくすべての準備を連休に完了して、映画を完成させねばならない。ムチャもいいとこである。 これから映画をつくりたいと思っているヒトは、時間がかかってもちょっとガマンして、とにかく少し余分に貯金しておくべきである。 でないと、セットの材料は買いそろえたが、破けた靴下を買い替える500円すら財布に入っていない、なんてコトになりかねない。

★怒涛のセット建て込み作業を開始★

  4月27日、買いそろえた大量の材料を“桜井倉庫”に搬入し、メンバーも集合したところで早速作業にとりかかった。
  通常、このようなセットはベニヤ板で基本形をつくって様々な方法で木目を消し、細かいディテールを作り込んでいくのが強度の面から見ても理想的なのだが、今回は作業能率を考えてスチレンボードを多用することにした。 ホラ、画材屋で売ってる、5ミリ厚くらいのスチロール板にケント紙が貼ってあるヤツである。 これならば普通のカッターナイフでサクサク切れるし、着色も接着もラクで、おまけに何かを表面に貼り込んだり塗料を厚塗りしたりして木目を消す必要もない。 実際使ってみると、作業は本当にラクなのだが、思わぬところに落し穴があった。 なんといっても強度不足なのである。 しかも水性塗料で塗ると、ケント紙が貼ってあるので水分を含んで反りかえってしまう。 そんなこともあって切りだした部品を接着、立体的に組んだところで倉庫の天井からヒモをたらして、そいつであらゆる方向に引っ張って変形を防ぐことになった。 出来上がってみると、セットの天板から倉庫の天井の梁にむかって無数のヒモが伸びており、まるで「鶴の恩返し」のハタオリ機みたくなってしまった。 このハタオリ機の随所に、各種スイッチ類や自作の機器を装着していく。 スイッチのほとんどは赤やオレンジに着色された透明プラスチックなので装着部分のセットの壁に穴を開けて、裏側からライトを当ててやれば発光する。 コマンダーの尾瀬が覗くペリスコープ(潜望鏡)やあちこちに這うパイプ類はすべて水道配管用や換気扇関係の部品、90ミリ砲の発射トリガーは芝生に水を撒く散水ホースのノズルである。 これに加えて吉岡君から実物のMac2台を借用して配置した。 これらの作業には、前述の宇野沢、桜井両氏らの美術スタッフに加えて出演者の北村君や、古くからのTEP美術スタッフである佐々木君が遠く熊谷市から手伝いに来てくれておおいに助かった。 この当時、すでに本作品のプロダクションマネージャーと化していた穂山君までもが、元来不器用なクセに「オレは昔、美術部だったんだ」などと口走りつつ塗装用のハケを手にする始末で、とにかく皆でよってたかってセットをこしらえてしまった。 童心に帰るコトの出来る、至福のひとときである。

 


  ディテールが揃ったら、それぞれのスイッチの注意書きをワープロで打って白黒変換したものをマメに貼っていく。 エンジン始動のイグニッション、バッテリー、無線機、ミサイルや90ミリ砲弾のセレクトスイッチの名称なども資料をもとにして作成、枯沼の座るドライバーズシートの横には「97式偵察戦闘車・イスズディフェンス製」といった“銘柄”までも貼り込んである。 彼らメインキャラが座るシートはコタツ用の座椅子の安いやつで、南条の席のまわりには彼の個性を出すために、オールディーズのアメ車のステッカーが貼ってあったり、額に入れた彼女の写真やゼンマイのティントイが置かれている。 新村の席の傍らに置かれたペプシのカートン箱は実物で「UN・援助物資」のプレートが貼られている。尾瀬の席の横には花瓶代わりにジュースの空缶が結びつけられ、枯れた薔薇が一輪だけさしてある。 壁面のヨゴシ塗装も含めて、無機的になりがちなセットに“生活感”を醸し出すための「ひねり」である。

 


  これと並行して作っていたのが、97式の天板である。尾瀬や枯沼がハッチを開けて顔を出すシーンなどに使われるヤツだ。 こっちのほうは車内セットに材料を食われてしまって、予定していたものより小振りになってしまったが、各部のディテールなどは90年版よりもかなり充実したものとなった。基本はスチレンボードだが、それに戦闘装甲車両特有のフックやペリスコープ、換気装置等の突起物をつくって配置していく。 分厚い鉄板の雰囲気を出すため、水性塗料も水で薄めず原液を厚塗りして質感を表現した。


  ちなみに尾瀬が開ける車長用ハッチは、ヒンジ部分(蝶番)を利用したいため、洋式トイレのフタをスチレンボードでサンドイッチして作っている。衣装の項では特に触れなかったが、彼らの被るヘルメットには、反射防止のためカーキ色の布がかぶせられている。これはタマタマ軍装品店で見つけた、米軍兵士用の安価なトランクスを切り開いて使っている。 つまり、尾瀬はアタマからパンツをかぶって、トイレのフタを開けて顔を出すのである。 一般人の常識的な生活において、酔っ払ったかどうかして何かの拍子に便器に顔を突っ込むことはあるかも知れないが、トイレの「内側から外にむかって」顔を出すというコトはまず出来ない。 ましてパンツをかぶってとなると、なおさらである。 そういう意味からも、尾瀬を演じた斉藤君は相当貴重な体験をしたコトになる。
  こうして4月30日、苦心のセットがようやく完成、桜井倉庫の2階特設ステージに鎮座ましますこととなった。


★三つ巴の戦い★

  この当時、すなわち97年の初春からゴールデンウィークにかけては、私のまわりで3本の自主製作映画が製作されており、仲間は皆フル稼働状態だった。 一本は私の『砂丘の残像』、そして残る2本は6月7日の映像個展で上映されるゲスト作品である。
  片方は、川崎君が10年ぶりにメガホンをとるSFコメディー作品『宇宙大誘拐』。 川崎君には個展での総合司会をお願いしていたのだが、本人からせっかくなら司会だけでなく、自分も作品参加したいとの希望があり、私としても仲間の新作が見れるとは願ってもないことなので製作に賛同したのである。 この作品で私は、ビデオ作品の製作は初めてという川崎君を完全にフォローすべく現場での撮影監督と、編集作業のスーパーバイザー的な役割を担っていた。
  もう一本は宇野沢君と映研仲間の氏田 理君が学生時代に共同監督で製作した異世界戦争SF『蚤』。 私はこの作品の内容に魅かれ、映像個展でのゲスト上映をお願いしたのである。 それにともなって、不本意な部分をリニューアルしたいとの要望があったので、私は本編ドラマ部分の撮り足しと特撮部分のキャメラマン、美術提供、特殊技術監修などを担当した。 つまり私は、自分の作品を監督するかたわらで、他の2本にもメインスタッフとして参加していたのである。 しかもこの3本には6月7日公開という、ゆるぎない締め切りが待ち構えている。それでも仕事のほうでは、一応ビデオディレクターという責任あるポストにいて休むワケにはいかない。 この当時の正気の沙汰ではない多忙ぶり、お察しいただきたい。 事実、この頃の私のスケジュール表は追加作業の書き足しの嵐で、真っ黒ケである。

  


  他人の作品に参加するというのは、やはり責任が重い。 先方もそれなりの期待を持って呼んでくれるワケだから、何とかそれに応えねばならない。 しかも今回は自分の作品も同時進行である。 これは身体的によりも、精神的な疲労のほうが強かった。   この2本の撮影が一段落するのを待って、いよいよ自作の撮影にとりかかった。 ずいぶんと長い道程だったような気がする。


桜井倉庫大活躍

  翌5月4日は、朝から桜井倉庫での97式車内撮影となった。
  実は当初の予定では日中に倉庫の前で屋外シーンを撮影して、終了後セットに入ることになっていたのだが、雨天ではないものの砂漠の設定にしては陽射しが足りないと判断して屋外シーンは翌日に持ち越した。 結果はこれが大正解で、セット撮影だけでも深夜に及びこれで同じ日に屋外も撮っていたら徹夜になるところだった。 あぶない、あぶない。

★フットワークとチームワーク★

  照明のセッティングなどに1時間ほどかけて、煙草に火を点ける南条のショットからシュート。 セットにはめこんだベンチレーター(これも世田谷のボロ市で見つけたシロモノである)がうまく作動してくれて、印象的なショットとなった。 これ以後、私が演出しつつ手持ちキャメラで撮影し、後輩の杉山君が撮影助手となって小型モニター片手にくっついてくる。 照明は鉄谷君と牧野君、そして宇野沢君がセッティングして、桜井君がスチールを撮りつつ、コボレがないかシナリオをチェック、穂山君がモニター確認を行い、昨日に引き続き現場にやってきた大勢の後輩たちがそれぞれをフォローしてくれるというかたちで、かなりやっかいな撮影にもかかわらず作業は驚くほどスムーズに進行した。


★どこまでも入り込むキャメラ★

  キャメラは、それぞれの人物の表情が的確に捉えられ、しかもセットの電飾などが効果的に見えるポジションを探し、手持ち撮影のフットワークを利用して可能な限り狭いセット内部に入り込んでいく。 俳優陣は昨日と同様に快調な演技を見せてくれた。 私は人物のフとした表情をインサートカットに使うのが好きで、出来るだけ自然な表情を彼らに要求したが、全員が充分それに応えてくれたように思う。 飾らず気取らず、本当にその場にいるかのような、おとなしめの生活感…そんな雰囲気が出れば、と思いつつキャメラを回し続けた。 前述したようにこの作品に関して私はまったく絵コンテを切らなかったので、俳優のテンションが途中で分断されぬよう気をつけながら、出来るだけ順撮りでカットを消化していったが、撮ったカットの半分は無謀にも“中抜き”つまり不連続の、キャメラポジションの似ているカットをまとめて撮ったりもした。 それでも最終的に絵がつながったのは俳優たちがストーリーの流れを充分に理解して演技してくれたからにほかならない。

 


★天候に恵まれた屋外シーン★

  翌5月5日、やはり一日延ばした甲斐があって朝から晴天。 絶好のロケ日和となった。桜井倉庫は、私道をはさんで大きな倉庫がいくつか建てられており、画面の切り取りかたによっては自衛隊関係の施設に見えるだろうと読んでの撮影である。
  この日、榊原連隊長役の山岸サンが初登場。 早速衣装合わせに入った。 基本となる衣装はすべて宇野沢君に提供してもらったのだが、各登場人物の中で、本物の自衛隊員の衣装を着ているのは山岸サンだけである。
  まずは榊原の登場シーン。 フォークリフトは桜井倉庫で使用しているもので、カーキ色のシートをかぶせたり、UNマークを貼ったりして雰囲気を出している。 運転するのは桜井君自身で、フォーク部分に便乗している隊員は桜井組の安井君である。 彼はこの後も榊原に敬礼する隊員役で登場している。
  パンダウンと自転車のフレームインのタイミングを合わせるため、何度かリテイクしたが、とりあえず滑りだしから好調な撮影となった。
  自転車にカギをかけようと座り込む榊原に「そんなモン、誰も取りゃしませんよ!」と呆れて声をかける警備隊員はプロダクションマネージャーの穂山君そのヒトである。
  榊原は座り込んで銃の手入れをしている尾瀬を見つけ、近づいていく。 尾瀬の手にしているのは自衛隊の64式小銃で、これも宇野沢君所有の精巧なモデルを分解したものである。 地面に置かれている他の2挺は『目覚めよと呼ぶ声あり』で使用した、自作の木製モデルだ。


★現場処理の合成★

  榊原の話を聞き、仲間を呼ぶ尾瀬。 他の3名は格納庫の前でジープによりかかってヨタ話の最中である。
  ――実はこのあたり、美術準備の都合で第一稿と比べてかなり変化している。 本来、尾瀬は64式小銃をいじくっているのではなく、旧式の軍用ジープの下に潜り込んで整備をしている設定だったのである。 が、撮影日ギリギリまで粘ったものの、ジープの手配がつかない。 なんとか用意したとしても、民間型か第二次大戦型のものになってしまい、自衛隊で使われている73式小型トラック(いわゆる三菱ジープ)にはならない。 そこで予定を変更して、尾瀬は古い64式小銃を倉庫の奥から見つけてきて手入れをしているということにして、他の3名がジープの近くにたたずんでいるという設定にしたのである。 こうすれば本物のジープを用意しなくても撮影出来るし、一応ジープが画面に写っていれば、自衛隊基地らしい雰囲気も出るだろう、と考えたのである。
  おわかりだろうか?つまり撮影には本物のジープが使えなかったのだ。 そう、画面にワンカットだけ登場している三菱ジープは、実物の1:18のミニチュアなのである。   これはブルーバック処理ではなく、古くからある被写界深度を利用した一発合成というやつで、遠景の人物の大きさとバランスをとりながら、レンズのすぐ手前にジープのミニチュアを置き、角度を合わせてその場にジープが本当にいるかのように見せているのである。 当日は天気も良く、露出を絞れて被写界深度が深くとれ、遠景の人物と手前のミニチュア・ジープの両方にピントを合わせられたからこそ可能だったテクニックである。

  余談になるが、実はこの屋外シーンでは残念ながらあきらめてしまった小道具がもうひとつある。
  サソリである。 座り込んで銃の手入れをしている尾瀬が、アグラを組んだ足の上を這うサソリを手で払うショットを入れて、基地の周囲が砂漠地帯であることを強調したかったのだが、この時期はどこのペットショップに行ってもサソリが売っていなかった。 やはりサソリにも「旬」があるのだろーか? こういった小動物は、作りものだとすぐにバレてシラケてしまう。 本物に限る。 結局あきらめることになった。 もっとも、売っているサソリも立派な針を持っていて、場合によっては人を刺すこともあるらしいので、サソリが手に入ったとしても尾瀬役の斉藤君にダメ出しされたかも知れないが…。


★本当の、クランクアップ★

  桜井倉庫前での撮影もほとんど順撮りとなったが、天候に恵まれたこともあって結構スムーズに進んだ。 ただ問題は、倉庫のすぐ横がサッカーの練習場になっていることで、キャメラをちょっと横に振ると、砂漠のハズなのにユニフォームを着てせっせとボールを追うさわやか青年たちがフレームに入ってしまうのである! しかも、倉庫前の道路がサッカー場への近道となっているので、若者たちを乗せた4WDが通りかかる。 ところが倉庫の前には戦闘服を着た連中がタムロしているワケだし、手伝いに来た穂山君に至っては、あまりの暑さにデカイ図体をしてズボンを脱ぎ、トランクスに鉢巻き姿でテレビモニターを抱えているもんだから「なんだいこりゃ、恐いよ!」などと叫びつつUターンするクルマも数台いた。

 


  前述のジープとの合成カットなどで手間取り、予定終了時間を大幅にオーバーしてしまったが、夕刻になって不安気に空を見上げる枯沼のクローズアップの撮影ですべての本編ショットがクランクアップした。

  いつも打ち合せに使っていた甲州街道沿いのデニーズにおしかけ、打ち上げ代わりの夕食をとって一段落。
  もちろん出演者らにはお礼にご馳走したワケだが、今までの製作で再起不能の破産状態に陥っていた私のサイフはガラガラで、飲食代をすべて桜井君に立て替えてもらったのは言うまでもない。 ハナっからまったくカンペキにそれを予想していた桜井君が、サイフからカッコよく1万円札をスラリと出した時の力ない笑みが、今も忘れられない。


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