―舞台は宇宙―
疑惑の方程式
―思いつきから完成まで―
(文責:原田勇)
このコンテンツは現在、文章のみの掲載です。
順次、画像を追加していきます。 ご期待下さい。
0.はじめに
宇宙空間を進む1隻の貨物宇宙船。まわりを真空の宇宙に囲まれている完全な密室の中、単調な仕事を続けている3人の男。その単調さは突然の事故によって打ち破られる。しかも事故の為に目的地までの酸素が失われてしまった。3人そろっての帰還は不可能になってしまったことで絶望する男たち。
しかし、冷静な1人の男の質問に対し、船のコンピュータは意外な答えを出す。酸素残量と消費量を計算した結果、2時間以内に2人になれば、船内の酸素は目的地への到着までギリギリもつと。
誰が残り、誰が外へ出るか……互いへの不信感が高まる中、時間が刻々と過ぎていく。
そして再び起きる事故。酸素残量はついに1人分を残すまでになった。緊張の糸が切れ、暴走する3人。そのため宇宙船は爆発してしまう。
……あの世で目覚め、再会する3人。しかしその3人を待ち受けていたのは、またもや自分達ではどうすることもできない「方程式」の運命だった。
いわゆる「方程式モノ」として知られるこの手のシチュエーション、特に珍しいものではないでしょう。しかし自主映画としては割合珍しい方ではないかと思います。しかも舞台が「宇宙船内部」という作品は。
撮影はほとんどがセット内の為に天候で予定が狂う心配はないものの、作業が単調になる恐れがでてくる。服や小道具などがもたらす「雰囲気」は現代を舞台にした作品と比べて確実に一線を引くことができるものの、既製品をそのまま使うことができない……。
長所がそのまま短所にもなる条件の中、1987年夏に製作が開始された作品「疑惑の方程式」。シナリオ・監督なんて事をしておきながら10数年後の今ではすっかり忘れてしまった私こと原田が、当時VHS-Cで記録に残しておいたメイキングビデオを見ながら書いてみたのがこの製作史です。記憶からずり落ちてしまった出来事等をむりやり思い出しながら、ボチボチと書いてみました。
自主映画を作っているor志している方が参考になるような話は書けないかもしれません。ただ、
参加したスタッフ、キャストの誰もがまだやったことのなかったジャンルの作品を創りだそうとした時の記録、そこから何かを感じてくださればと思います。
……関係ない話ですが、「疑惑の方程式」の1年前に「土地神の怒り」という短編を撮ったのを思い出しました。粗筋はあえて書きませんが、「ケ*の穴がぁ?!」という台詞があることから、お上品な話ではなかったらしいというのは想像できなくもないでしょう。そういや特殊メイクは川崎ヒロユキがやってたような気がします(やってたやってた)。いろんなコトやってましたね(やってたやってた)。
1.シナリオに至るまで ――主に1人での作業――(1987年5月)
1-1.やりたかった事
SF。苦手な人もいますが好きな人も多いです。特に星々がきらめく宇宙を進む宇宙船の映像や文章に心奪われた方は多いと思います。子供のころに「宇宙戦艦ヤマト」や「宇宙大作戦(STAR TREK)」を見て育った私もその中の1人でした。テスト用紙の裏や教科書、机の上には鉛筆で描いた宇宙船がいつも宇宙を駆けめぐっていました。
そんな中、小学生のときに聴いた深夜のラジオドラマで「冷たい方程式」が流れました。毎日放送だったか文化放送だったかも覚えていません。声がどんな声優だったかも知りません。しかしその時の静かな衝撃が10年後に違う形で現れる事になったのです。
月日は流れ、空想だけではなく実際に(スクリーンやモニタの中での映像というだけの話ですが)映像として作ることができるチャンスがやってきました。やはり1番やりたいのは宇宙船が舞台のドラマです。しかし、具体的にどのようなものにするかというのはまだ決まっていませんでした。
なんにも思い付かない時というのは何ヶ月かけても何も思い付かないものですが、なにか思い付く時には突然次々と思い付いたりするものです。
私の場合、何か思い付くような時っていうのは、歩いている時やバイクに乗っている時など、身体を動かしてたり緊張してたりしている時が多いように思います。今回の「疑惑の方程式」も、バイクに乗っている時に頭の中にエピソードが次々浮かび、一つの話としてまとまっていったのでした。
もちろん今までなにもしていないのにアイデアが次々浮かんでくるということはありません(それじゃ天才)。その前に様々なものを溜め込み、なんとかしようと考え続けていたからこその結果だと思っています。
1-2.冷たい方程式
話の元ネタは「冷たい方程式」。1954年にトム・ゴドウィンが書き上げた短編小説です。SFでは有名な作品の一つにあげられます。
人命救助に向かう1人乗りの小型宇宙船。目的の惑星に降りるための燃料をギリギリしか積めないため、余計な物は一切載せられない。重量が規定より増加していては積載の燃料で減速できず、目的地へ無事降りることができないからだ。もし密航者がいた場合、即座に船外投棄される。それは密航者の死を意味していた。しかしその時発見されたのは、目的地の惑星にいる兄に会いたいためにもぐりこんだ少女。明るく振る舞うその少女は、乗り込んではならないという規則が人間の都合ではなく、誰も変更することができない物理の法則からできているという事を理解していなかった……
この話では、1人しか生きられない状況下に2人いる状態がしばらく続きます。どちらが処置されるのか、処置の仕方はどういう方法なのかは既に決まっているのですが、それを実行するまでの経過が話の大部分をしめています。この場合の「処置される方」というのは少女の方、「処置」は船外投棄を意味しています。
そこでふと思い付いたのが、登場人物が2人じゃなく3人だったら……しかも、船外投棄される人間が決まっていなかったら……しかもそれらがあんまり性格の良くない野郎ばかりだったら……
それらに小説「2010年」映画「エイリアン」等のネタを入れ、私の好きな下ネタ/ブラックユーモアも加わり、一つの形が出来上がっていったのでした。
1986年夏、時間にしてだいたい40分くらいになるシナリオ第1稿が完成。これくらいの時間なら普通のTVの1時間ドラマと似たような尺なので、話の流れが感覚的につかみやすいのですが、できればもう少し短くしたいところでした。上映時間の長いものは色々と難しいものがあるからです。
とある大会で1時間ある自主映画を拝見したことがありますが、会場に10数人いたお客さんが、上映の終わった頃には私と上映スタッフしかいなかったという事がありました(私も何度逃げようと思った事か)。長時間の作品は難しく、見る方を効果的に引き付けるモノがなくては誰も見てくれません。
このシナリオは、さらに7、8回くらい書き直しをしたと思います。しかしこの時は映像化されるまでには至りませんでした。
1-3.想いを形に
次の年、1987年5月のGW時期。全面的に見直した再チャレンジ版第1稿を完成。
川崎ヒロユキから「この人物の性格なら、こういう行動をとるのはおかしいんじゃないか」等の助言をうけたりしながら、2稿、3稿と書き直していきました。
登場人物の性格と行動というのは映画に関らず話作りの基本中の基本ってところですが、この辺のおかしな箇所に気がつかなかったのは実力(?)の成せるワザでしょうか……。この手のミスはよくやってた気がしますが(やってたやってた)、いろいろと指摘してくれる人が周りにいたのは非常に助かりました。こういうところが集団でモノを作る時のメリットの一つなんでしょう、いつでもモノの見方が違う人が周りにいるためにいろんな角度からの意見を聞くことができます。それを取り入れるのも取り入れないのも最後は監督の判断次第なんですが、たとえ取り入れなかったとしても、なんらかの(良い意味での)影響を受けるものです。
−実際には、撮影時になって全体のテンポを良くするためシーンをまるまるカットしたり台詞を変えたり等、現場での変更もいろいろとやっています。このときにも周りの人の意見が大変参考になります。取り入れる入れないに関らず。
シナリオが完成したら次は絵コンテの作成です。撮影は宮本拓と鋤柄哲雄の2名で行なうことになりました。
私は監督に撤するので、イメージを撮影者にわかりやすく伝えるために絵コンテが必ず必要になります。喋りで伝えられればそれでもいいかもしれませんが、なにせ判りやすく喋るのが苦手ときているので、嫌でも絵にしないといけません。また、絵コンテがあれば美術スタッフもどういうセットが必要かを決めることができます。どのあたりが見えるのか見えないのか、どの辺まで作り込めばいいのか、どういう小道具がいるのか、そのギミックはどのようなのが必要か…………等、さまざまな事を割り出す事ができます。特に今回は未来の話のために作りモノが多く、そのためにも絵コンテは必要でした。
絵コンテもシナリオと同じく、第1稿が完成した後も見直しを何度も行い、7稿程度まで描きなおした記憶があります。40分前後の作品の為カット数も数百になり、慣れていない身にはキツい作業ではありましたが、本当のキツい作業、本当の地獄はまだまだ始まってもいないのでした……。
登場人物は宇宙船の乗員3人と天国(あの世)のシーンに出てくる天使2人。
キャストとして女性を引っ張ってくることが非常に困難&私が女性の出てくるハナシなんて書かれへんがなって事で、乗員も天使も全員男です。お蔭でかなり男臭いというか、男性ホルモンがフィルムから滲み出してくるような汗臭い雰囲気の話になってしまいました。なってしまった、というより最初からそういう雰囲気になるのを目指していたのかもしれませんが。
2.クランク・インに至るまで (1987年6月-7月)
これまでは助言を受けたりしながらも基本的には1人の作業でした。 ここからは大勢を巻き込んでの作業になります。協同作業による撮影準備の始まりです。
2-1.キャスト決定
まずは役者の選定。登場人物は前に書いたとおり宇宙船の乗員3人と天使2人です。
まずは船長。イメージとしてはやや太めの体格。威張りちらしたり良い格好を見せたりするものの、仕事ができるわけでもない。責任者でありながら責任能力も判断力もなく、本当は気の弱いケツの穴の小さな情けない男という役。
ここでは同期の山田にお願いしました。私の前年の監督作品「土地神の怒り」でも、ゴミを撒き散らしてその土地の神さんの怒りを買う男の役を演じてもらった事もありましたし、なにより見た目のイメージが船長と合っていたのです。なお言うまでもない事ですが実際の山田は作品中の船長のような性格ではありません。たぶん。
次に操縦士。生真面目で余計なことをいわずに黙々と仕事をこなす、何を考えているのかどうも見当のつかない男。信頼に値する人物ではあるものの、近寄り難い雰囲気がある。体は一部機械化されており、いざという時には怪力を発揮できるという役。
これには同じく同期の塚田にお願いしました。彼はそれまでにも他の作品中で主役級の役を演じており、後に宮本拓の代表作品「目覚めよと呼ぶ声あり」でも主役を演じています。正直なところ、塚田はこれまでもキャストとして加わる事が多かったので、今回はスタッフとして加わってもらおうと考えていました。ただ他に適任者がなかなか見つからず、やはり塚田しかいないということになったのです。
乗組員の最後は通信士。気が弱くていつもオドオドしているが、一旦キレると何をしでかすか判らないという怖い男。コンピューターに関しては3人の中で1番の知識、経験、センスがあるという役。
これには後輩の田中にお願いしました。やや背は高く、どちらかというと痩せ気味で、気弱な通信士の役にぴったりだったからです。またこれも他と同じく、実際の人物は役の性格と同じではありません……たぶん。
話の最後に出てくる天使2人は後輩の遠藤(ピラニアFILM)、昌原にお願いしました。
ここに出てくる天使というのは半ばチンピラというか、ガラの悪いラリってる兄ちゃんという感じのヤバそうな雰囲気を持っているという役です。
遠藤、昌原の2人は体格は正反対ながらも感じる雰囲気には似たようなものがあります。2人の出ている作品もありますが、その強烈な個性は今回の天使役に最適と判断しました。またまたこれも同じく、実際の人物は役の性格と以下省略。でもこの2人だけはもしかしたら以下省略。
実はもう1人、最後に登場するモノがあります。宇宙船が爆発するまでは声のみの出演になる役、コンピュータです。船内の一切の管理、航行を受け持っているという設定で、船長によって「バカ」と言うぞんざいな名前が付けられています。
このコンピュータ「バカ」は、船が爆発した後にあの世で実際の姿となって登場します。指令室のモニタ周辺のパネルを箱型にし、それを役者が頭に被って出てくる、と言えばなんとなく想像がつくでしょうか? この辺は小説「2010年」のラスト近く、木星の太陽化による衝撃波で破壊された後スターチャイルドと化したコンピュータ、HAL9000のパロディです。
声は私が担当、最後に出てくる時の姿は、撮影と特殊効果担当の鋤柄に演じてもらいました。
このキャストの面々も撮影が実際に始まるまでは、主に美術スタッフとしてセットや小道具、ミニチュアを作ることになります。自主映画ならではというところですね。
2-2.舞台造築
舞台は大きくわけて宇宙船内部、宇宙船(外からみたもの)、天国の3つになります。うち、宇宙船内部は指令室、便所、エアロックの3箇所。すべて人間が関ってくるので実物大のセットになりますが、エアロック内部の様子はミニチュアも作ってあります。
普通のドラマと違ってロケの必要はまったくないので、セットを組むスタジオさえあればOKです。天候にも左右されません。普通はこのスタジオを手配するというのが大変なんですが、埼玉北部にある某映像関係専門学校のスタジオを使用します。
ということで、すべてがセットでの撮影ということは……
すべてを1から造らなければならないという事なのでした。
セット等の組み立てから撮影開始まで1ヶ月。その間、スタッフ、キャスト合わせて20人近くいた全員が美術の仕事をし、セットから小道具、宇宙船のミニチュアまでを作ることになりました。
宇宙船等のデザインというと、ブリッジ内部から宇宙船の外形まで曲面で構成され、「美しい」といった感じがピタリあう「STAR TREK」タイプや、ゴテゴテしてていかにも機械の塊って感じのする「STAR WARS」タイプ等いろいろありますが、今回の話に出てくる宇宙船及び内部はどちらかと言えば「STAR WARS」タイプに近いです。
宇宙服や小道具等は、あまり洗練されていない……現在スペースシャトル等で使われていてもおかしくなさそうな雰囲気にしています。
そのため、電子部品や小物をつくるのに秋葉原のジャンク屋をまわってキーボードや電卓のパーツを買ったり、近所の電気屋で放置されていたTV(なんと普通に映る!)やエアコンの外枠、ゴツい作業ベルトなどを貰ってきて多用しています。
近所の電気屋をあたるというのは結構いい手かもしれません。都内の大きな電気店はどうか分かりませんが、小さな町の電気屋さんって感じのところならば店の裏や横に廃棄処分の製品が転がってたりします。これを使わない手はありません。
エアコンの筐体を使ったりするのはSTER TREK(TV)でも使われていたりする常套手段であります。あとは店との交渉次第ということになりますか。
秋葉原のジャンク屋では精密部品の類を買い漁りましたが、これはかなり資金が飛んでいきます。少しでも出費を抑えるために撮影担当の鋤柄に頼み、埼玉北部から東京都心までバイクで行った事もあります。
ただこの時は3日連続寝てなかった為にバイクの後ろで寝てしまうという失態をおかし、何度も道路に落ちそうになったあげく、気が付くと身体が90度右に倒れ、頭のすぐ横に突っ走る自動車のタイヤがあったという事態になりました。このとき操縦していた鋤柄が手を伸ばすのが遅れてたら、私は享年21歳で生涯を終えていた事でしょう。限界を越えた辺りに出てくる睡魔には何を持ってしても歯が立ちません。これは後々まで語り草になり、寝不足でバイクに乗るのは止めた方がいいぞという教訓になりました。教訓は活かされた試しがないというのも真実でして、その後もいろいろとありましたがそれはまた別の話ということで。
宇宙船内部
まずは宇宙船の指令室。ここで主要人物3人の主なドラマが展開されます。正六角柱の部屋で、片側3面に机の張り出しとモニタがあります。反対側の3面には下の部屋(便所、エアロック等がある)に行くためのマンホールの蓋のようなドア等があります。
宇宙船モノって事は、宇宙船内部のデザインも1から作らないといけません。生活臭漂う四畳半アパートを参考にはできません。逆に言うと撮影がしやすいような工夫を設計に盛り込んでおく事も可能です。
ということで指令室の6面の壁は取り外しができ、カメラアングルができるだけ自由に行なえるようにしていました。壁にはモニタを3台備え付けますが、モニタを取り外してそこからキャメラでのぞき込む事ができるようにもしてあります。
当初は操縦士と通信士の椅子は床にすえつけ、船長席は床面から1mくらい上、壁から直接出ているような感じにしようかと考えてました。しかし作るのがかなり大変になりますし、役者の安全のことも考えて、席はすべて床面に配置しています。
……という風に壁などの大まかなデザインを考えて図面をおこし、美術の遠藤に渡します。
遠藤を始めとした美術スタッフは木材の買いだし、切りだし、組み立て、アクリル板の貼り付け等の工程を進めていきました。壁は平らのままではまるで交番のブタ箱になってしまうので、電気屋で貰ってきたエアコンやTVの筐体やパイプ類を取り付けます。最初は浮いた感じになりますが、グレーなどを全体に塗って色調を整えればそれらしくなるもんです。
マンホールの蓋のような円形のドアは、ゴミ捨て用大型ポリバケツの蓋を2個組み合わせて作られています。これに解体業者から貰ってきた車のハンドルをつけて塗装すると、非常にそれらしくなります。美術チーフの遠藤か誰かのアイデアでしたが、大変良いものでした。
船内でのシーンでは、乗員が何か適当な作業を続けているというシーンがあります。要は仕事中ということを表わしたいわけですね。そのため、それっぽい操作パネルといったものが必要になります。ウルトラマンの科特隊基地の司令室等、SFやスパイものの作品でそれっぽい操作パネルといったものはおなじみになっていると思います。
宇宙船の操作パネルっていうと、今ならどういう風なデザインですかね。STAR TREK TNG(新スタートレック)では物理的なスイッチ等のない、デジタルッぽさを追求したかのようなフラットパネルなものになっていますね。
私のデザインしたものは、スイッチ類がベタベタくっついた、いかにもゴテゴテしたやつでした。TRONキーボードのようなモノが付き、目の前には14インチのモニタがあるという、なんともアナクロっぽいものでしたが、とりあえず話の雰囲気にはこれであっているだろう、というものにしたのです。
操作パネルや壁などの「それらしい」装飾に必要になってくる各種スイッチ。今回大量に必要になるこのスイッチ類は、秋葉原のジャンク屋で買ったパーツも使いましたが、多くは自作のものです。木で作った原型を元にし、熱したプラ板をのせ、バキュームフォームやヒートプレスで型出しします。それを一つ一つ切りだし、断面をグラインダで平らにし、接着しやすく加工します。こうやって大量に製作しておくのです。
こういうモノは一回作っておくと以後の作品でも使い回しがききます。置いておく場所を確保しるのが大変ですが……事実、その後の後輩達の作品で何度も使いまわされているようです。
天国(あの世)
今回の天国はというと、真っ白の霧の中というイメージがありました。構造物等は一切なし。そのために床面及び周辺一体を白い煙で充満させればよかったので、セットといっても床面に木で枠をつくる程度ですませました。床面がバレるのを防ぐため綿を敷き詰めておきます。
後は撮影当日に霧用のドライアイスを手配するくらいです。これは電話帳(ハローページ)等で調べられますね。値段や数量、店の定休日や営業時間帯をしっかり確認する必要があります。
模型
宇宙船内部は実物大のセットですが、外観は縮尺模型を使います。その宇宙船の外観を捉えるシーンは、全体をとらえたものと乗員のいる船室部分のUPという2種類のシーンがあります。そのために模型も2種類必要です。
宇宙船自体は非常に巨大で、ひしゃげた変形8角形のコンテナが3つ不安定な形でくっついており、これが宇宙船の大部分を占めています。そして横に小さく申し訳程度に乗組員の船室がくっついているという設定です。
まずは宇宙船全体の模型から。
まずは木の枠に紙を貼っただけの模型を作りました。宇宙船の航行シーンは高山カツヒコが作成したモーションコントロールキャメラで撮影するので、そのテスト用の模型です。
その後、撮影に使用する模型をつくりました。木材とプラ版を使ってますが、補強にアルミ材を使用して頑丈なものに仕上げています。モーションコントロールキャメラでの撮影となれば、模型は数時間や数十時間もアングルに固定されたままになります。そのためにある程度の耐久性が必要なのです。派手なアクションはないし、模型に特別なギミックを仕込んでいるわけではないので、非常に難しいということもないのかもしれませんが、やはり気を使うところではあります。何時間もかけて撮影をし、最後の最後で一ヶ所接着面が剥がれてめくれ上がった……なんて事になったら目も当てられません。
この模型は中澤と本編の撮影担当でもある宮本に製作してもらってます。
問題になったのは、どのあたりまで作り込めばいいかということです。部屋に飾る模型であれば、スジ掘りをほどこしたり、ランナーを熱で伸ばしたモノや真鍮線、プラモのパーツなどで熱意の続くかぎり作り込めばいいと思うのですが、撮影用の模型となるとちょっと違ってきます。映らないところは作らない。一方向しか映さないものであればその面だけ作っておけばいい。その分時間も金も労力も別の方にまわせる……とはよく言われることなのでここで書く必要もないと思いますが、まぁそういう事です。
今回の宇宙船の模型の場合は全体が映るために前後左右上下全部作ってもらうのですが、ディティールをどこまで細かく作り込むかという問題があります。モーションコントロールキャメラの撮影でどの程度まで映りこむのか、はっきりしたことはまだ誰にも判りません。
テスト結果を元に適当なところまで作り込んでもらったように記憶していますが、そのあたりの労力が報われているかどうかは微妙なところです。
この撮影は本編の撮影後、セットを解体した後のスタジオ内で行ないます。
次にUP用の宇宙船船室部分。指令室などの居住区になっているという設定の円筒形のユニットやアンテナの集合体、そこから後ろに伸びる格子状の部分、さらにそれらの背景となるコンテナの外壁からなります。
コンテナの外壁部分は後回しにし、その他の部分は木材の切れ端等で作られました。コンテナ外壁はかなり大きなもの(縦1.8m、横3.6mはあったような)になるため、先に作っても置く場所がなく、撮影の邪魔になるために作成は後まわしにしたのですが、これが最後になって非常に疲れるハメになってしまいました。
これはまた後ほど書くことにします。
小道具
残るは小道具の類です。最後に船長に突き付けられる信号銃、自爆信号を出す小型の通信機、乗員3人分の船内服と天使2人分の衣装。さらに船外活動用の宇宙服が1着分。
乗員の衣装は市販されている作業着を使います。天使の服は単純な白い服ということで、白い布から縫って作る事にします。宇宙服は、ヘルメットの部分はFRP製、服の部分は防寒着や防寒靴を元にしてつくります。ヘルメットの原型やFRPの作業は、元々特殊メイクで力量を発揮していた長沼にお願いしました。天使及び宇宙服の縫いつけの作業は、スタッフ唯一の女性である野々宮にまかせます。裁縫の経験の無い男共がやっていたら、血染めの宇宙服ができていたコトでしょう。
あとは作業ベルトや生命維持装置っぽい箱をそれらしく取付けます。作業服の肩にはNASAの服にもあるようにそれらしくワッペンを貼り、胸には免許証のような名札を取り付けます。名札は紙に文字や写真をはり、どこぞの文具店でラミネート加工すれば完成。
撮影期間は夏、しかもスタジオの場所が日本でも有数の暑さで知られる埼玉県熊谷市ですから、防寒着を元につくられた宇宙服を着る役者は熱でダウンしてしまう可能性が十分にありました。それでなくても半ば密室と化した狭いセットの中でレフランプを何灯もたいて撮影をしますから、ただでさえ異常な気温になります。そのために掃除機を使って新鮮な空気を吹き出す仕掛をつくり、宇宙服に仕込みました。
それでもかなり蒸し暑くなった事と思いますが……。
宇宙食
今回の作品には宇宙食も登場しました。映画「2001年宇宙の旅」を見た方はご存じかと思いますが、木星に向かうディスカバリー号の中で皿に入った固形食を食べるシーンがあります。あのパロディと思っていただければいいかと。
皿はスイッチ類と同じく、プラ版をヒートプレスして作りました。全体的には長方形で、3ヶ所くぼみがあり、中に固形食が入っているという感じになります。
固形食は実際に食べられる物を用意しました。現在のNASAでもこれほど粗末ではないだろうというような、単なるペースト状の物体です。これは撮影担当の鋤柄のアイデアだったように思いますが、ふかしたじゃがいもを裏ごししたモノに色をつけ、塩を適量かけて出来上がりというモノです。素材は簡単に手に入ります。着色には、スーパーでも手軽に買える食紅と緑色の食品添加剤を購入しました。これに色をつけないままのものを合わせて3色の「宇宙食」ができあがるわけです。試食してみましたが、味はポテトサラダのようなもので特に不満は無かったように思います。季節がら食中毒を恐れて、食べるシーンの撮影当日に調理し、撮影に使ったような気がします。……大量に作っておいて冷蔵庫で保存しておいたんだっけか? あれ?
テスト撮影
この後1987年6月26日と27日の両日、実際に指令室のセットを組んで撮影テストを行なっています。六角形のセットのうち1辺の壁を外し、500Wと1KWのレフランプを4台使って撮影しています。3種類の濃さの違うブルーのフィルターを付け替えて照明の調子をみたり、レンズにワイドコンバータを装着してイメージどおりの絵になっているかどうかを確認しました。
当時の記録ノートを見返してますが、「グレイカードに新聞利用」(露出の調整に新聞の株価関係の頁を利用した)など、泣かせるような文もあったりします。
3.本編撮影 ――灼熱地獄と化した現場――
美術関係の準備ができ、撮影テストも済み、打ち合わせも済んだところでついに撮影開始。
本編の撮影は1987年7月3日から17日までの2週間。さらに最後のリテイクが19日に行なわれています。
今まで美術として働いてたスタッフが3つに分かれます。セット組み等の現場美術スタッフ、助監督や照明など美術以外ののスタッフ、そしてキャストです。
撮影で一番の障害だったのは、やはり暑さでした。温度計をスタジオ内に持ち込んで調べた事がありますが、午前10時で既に気温は44度! その後温度計は誤って踏み潰されてしまい、以後の気温は調べられませんでしたが……計っても士気を削ぐだけだろうし、見たくもない、見てもどうしようもないというのが当時の気持ちでした。対策としては3台の扇風機を持ちこむくらいしかできず、セットの中に持ち込んで役者に風を当てたり、スタッフ同士が交替で使い回したりしながらなんとか暑さをしのごうとしていました。
メイキングビデオには「暑いよお!」と吼えるスタッフが克明に記録されています。私も上半身裸で作業をしたりしてました。
当時のスタッフの中には扇風機を独り占めする者もいましたが、彼はその後「コンドーム事件」の容疑者として疑われる立場になりました。 撮影中、特殊メイクなどで必要だったコンドームがひとつ紛失する事件が発生しましたが、それを置いていた作業場で一人うろついているところを目撃されていた彼が真っ先に疑われたわけです。疑うというよりは「だめだよ早く返さなきゃ」と目の前で詰問したり等最初から犯人扱いでした。私としては半分冗談混じりだったのですが、扇風機独占の件もあって眼は笑ってなかったのかもしれません。また、詰問したときにたまたま(?)スタッフ唯一の女の子がいた事もあってか、その後かなりスリルある体験をしたり等、いろいろとありました、はい。
とりあえず協同作業ということですので、非常識な事はしないようにしようね、という話でした。背中刺されなくてよかった!
ちなみにコンドーム事件の真犯人は10数年後に判ったのですが、撮影チーフの宮本でした。おかしい、扇風機独占の彼に詰問したとき、宮本は私の隣にいたはずなんですが……
話を戻しまして……私は監督なので演出をする立場にあります。しかし何分不慣れな事もあり、本来撮影チーフである宮本に演出のかなりの部分を任せてしまったようなところがあります。火薬については鋤柄に一任しましたが、これも本来なら監督もいろいろと話に加わるべきだろうと思います。
良く言えば、それぞれの得意な分野を任せたということにもなりますが、悪く言えば監督の責任放棄です。なんにせよ、本人の力不足を痛感したと共に、やはりこういうのは共同作業なんやなぁという、当たり前といえば当たり前の事を改めて感じとった次第です。
2週間の撮影期間は途中に1日休みが入り、あとは朝から夜まで撮影を強行しました。
何度か書きましたが、この撮影はすべてスタジオ内で行なうためにスケジュールが天候に左右されることはありません。しかし、その分休みは適当にこしらえないと、精神的&肉体的にかなりキツくなる恐れがあります。これはドーム球場が出現した現代のプロ野球にも似ていますね。本職でビデオの仕事をしていた時、毎日毎日徹夜が続いたあげくに製作が言った「はい、今から昼飯の時間、20分です」の声に他のスタッフの堪忍袋の緒が切れ、大騒ぎになったという事もあります。
今回の撮影は、とある事件がもとで1日だけ午前中が休みになった事がありました。
全員、かなり疲れが溜まってきたある日、撮影も終わって数人でミーティングをしていた時の事です。私は近くでなにかの羽音を聞きました。季節も季節だったので蚊のような虫だろうと思い、その時はあまり気にしてませんでした。が、突然羽音が大きくなったかと思うと、耳の穴にゴソゴソッと何かが入ってきたのです。私は訳のわからない事を大声で口走りながら部屋の中を爆走しました。辺りにいたスタッフは「ああ、とうとう(狂ったか)」と思ったそうです(思う思う)。どうやら蚊のような虫が入り込んだようでした。
ピンセット等で虫を取ろうにもうまくいかず、異物感が取れないまま帰宅。次の日の午前中に病院で見てもらい、虫を取り出しました。虫は耳の穴の中でバラバラになっており、鼓膜が腫れていたそうです。虫を取ろうとして無茶をしたのが原因でしょう。その日は午前中が休みになりましたが、やはりこういう休みもたまには必要ではないかと思った次第です。
撮影の中では何箇所かに火薬を使った爆発があります。火薬に関しては宮本が書いた「メイキング・オブ・砂丘の残像」に詳しく載っていますが、やはりこの手の効果はFILMに映ってナンボの世界ですので、音は小さく(盛大な音は後で入れればよい)、煙や光などが効果的に出てくれればそれに越した事はないです。最初の事故のシーンでは船内のあちこちが爆発しますが、この時に使われた爆薬がなんと音がほとんどしないというものでした。一瞬、失敗したか!と判断してしまったほどです。
物が壊れるシーンの中には火薬を使わないモノもあります。怒った船長がコンピュータのモニタに工具をぶつけ、叩き割ってしまうというシーンです。(モニタが壊れる=コンピュータが壊れる、というのは記号的な認識ですが)
ブラウン管を壊すというのはまだ誰もやったことがありませんでした。破壊した瞬間に破片があちこちに飛び散るのか、すさまじい音がするのか、誰も知りません。
キャメラは十分に離し、レンズ前に強化ガラスを置いて保護。モニタの近くに待機して工具をぶつける役は、バイク用ヘルメットで頭を保護し、身体の大部分をベニヤ板で隠して実行することになりました。
この時壊されるモニタは電気屋からもらってきたものです。屋外に放置されていたTVでしたが、電源を入れたところきちんと動作し、ビデオ画像もアンテナ端子から取り込めば普通に映し出されるという、まったく支障のないものだったのです。
モニタをセットし、ビデオと接続して映像を流し、合図とともに至近距離からモンキーレンチを投げつけます。
いよいよテイク1。力の限り投げつけたレンチは見事に狙いがハズれ、モニターの横のパネルを破壊してしまいました。スタッフの緊張の糸はプツリと切れ、私はその場でのたうちまわって笑い転げるしかありませんでした。「死ぬほど笑とる」と誰かが言ってたようですが、まさにそのとおりでした。
テイク2で撮影は無事成功。モニターの破壊はたいした音もなく、破片が派手に辺り一面飛び散るというわけでもなく、あっさりと終了しています。この撮影の直後、予想外の出来事がありました。かなりキツい頭痛に見舞われたのです。水銀かなにか、有害なガスが出たのでしょう。
モニターを壊す撮影の後は、大がかりに換気をしておいた方がよさそうです。
指令室のセットでは3台のモニタを使っています。乗員3人の席の前に1台ずつです。壊すシーンの時には粗大ゴミと化していた貰いモノを使いましたが、通常はパソコン用のモニタや14インチのTVを据えつけました。当時のパソコンは14インチが標準だったのです。そこにビデオデッキを3台つなげ、録画しておいたCG映像を流すのです。
映像はX1turboIII、X68000、MSX2を利用して作られました。私と高山カツヒコが持っていたパソコンです。これに関ったのはプログラミングもできる高山ですが、モーションコントロールシステムの開発もあったため、「ALARM」の文字の動画の部分を担当してもらいました。残りのコンピュータ映像は特別なプログラミング技術をなるべく使わず、どちらかというと編集技術で作り上げています。パソコンの「ライフゲーム」(生物集団の成長のシミュレーション)の画面や文章のスクロール画面をビデオに落としたあとで4分割のエフェクトをかけ(家庭用ビデオでもこういう機能付きのがありますね)、そこに1/4の大きさの映像をテロップで合成したりしているのです。こうして作った映像をモニタに映し出し、それっぽい雰囲気を作ろうとしました。
指令室、エアロック、便所の撮影が一段落ついたあとは、天国……というか、あの世(天国の一つ手前)のシーンの撮影。
スタジオに木枠を組み、下に綿を敷き詰め、スモークとドライアイスを併用して撮影します。綿は古いものだったために虫が涌いていましたが、それでも構わず撮影は進められました。特にキャストの皆には大変だったことと思います。
最後にリテイク、及びリテイクのリテイクを撮って本編撮影は終了します。
その後モーションコントロールキャメラを使った模型の撮影に入ります。
4.模型撮影 ――静かなるスタジオ――(1987年8月)
スタジオ内のセットをすべてバラして片付け、模型の撮影に入ります。まずは、すでに完成していたロングショット用に使う宇宙船本体の撮影です。
ここは高山が1人で作業をしていたので、詳しくは氏の特殊機材についての記事を参照して下さい。とにかく、スタッフの中では誰も試したことのなかった撮影でありました。
宇宙船本体の撮影が終わった後で、宇宙船の巨大なコンテナにくっついている小さな船室部分の撮影に入ります。船室やアンテナなどの部品はすでに完成しており、あとはコンテナの壁の部分を作るのみでした。
ところがその時、世間ではお盆の時期に入ってました。スタッフの大部分はすでに帰郷しており、残っていたのは数人しかいません。仕方なく残っていた数人に協力してもらってコンテナの壁の部分を作りました。パネルを組み、プラモの部品やボール紙、電池を束ねたもの等を使ってそれらしく装飾します。色を塗って完成。最後に数人で作ったものが一番大きな模型になってしまいました。このあたりはスケジュールを組んだときのミスですね。
これも撮影は高山に一任、モーションコントロールで撮影しています。
5.一応の完成
本編撮影が終了した後だったかモーションコントロール撮影等全てが終わった後だったかは忘れてしまいましたが、焼き肉食べ放題の店で打ち上げをやりました。
当時はバイトも辞めて時間も金も映画に注ぎ込んだために生活資金に困窮していた私でしたが、とにかく参加。いろいろと無理を言ったキャスト、スタッフへの感謝の意味合いもありますので、監督が出ないと話になりません。誰かに金を借りていたのかもしれません。親の敵のように肉を喰らい込んだのは記憶にあります。その頃の無茶が今の私の健康状態を作っているに違いないと思います。
この後、編集作業をしてからフィルムにマグネットコーティングをして音入れに入ります。そして、完成。
完成度はどうであれ、今まで夢の話であった「宇宙を舞台にした物語」がフィルムとして現実に目の前にあがり、スクリーンに映し出されました。
6.完成後の感想
作品そのものの完成度は決して満足できるものではないものの、今までと違ったモノができた、という実感、手応えはありました。
キャスト、スタッフに恵まれた結果であろうと思います。今さらではありますが、当時酷暑のスタジオで汗をダラダラ流しながら面白いことをやったみんなに感謝する次第です。あの時関った皆の半分は今も似たような事で汗をダラダラ流しながらキツくて面白いことをやっているようです。

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