"イイ話、ないですか?"




  この『エッセイ&コラム』のコーナーでは、以前よりディオラマのストーリー構成等についての拙文をたびたび掲載している。
  たいした作品もつくっていないクセに生意気もいいとこだが、ストーリーの構築というのは私の本職にも深く関わってくる事柄でもあるので、無意識のうちに、いつも気にしているようなところがある。

  漫才などの世界で活躍している芸人さんや、または週刊の〆切に追われている漫画家の先生などの中には、フと思いついたアイデアをいつでも書き留められるようにメモ帳やノートを携帯している人がいて、それを「ネタ帳」と称しているようだが、恥ずかしながら私も、どこにでも売っている安い大学ノートをいつも持ち歩いていて「ネタ帳」として使っている。
  小汚い字で思いつくまま書き殴るし、気になった新聞記事や広告の切り抜きまで張り付けてあるから、すぐにページが消耗して、もう何冊ムダに使っただろうか、というアンバイである。中には映像関連のみならず、模型に関すること……例えばつくってみたいディオラマのストーリーや構成までもゴチャマゼに書いてあるものだから、恥ずかしくってとてもヒトサマにはお見せできぬ「禁断の書」となっている。

  書いてあることは、私の無学や才能の欠如を実にアカラサマに物語っており、いろいろと伏線を張ったストーリーを考え、その“相関図”などを書いておきながらも収拾がつかなくなって、いかにもそのへんにゴロゴロしているようなありきたりの話のひねくれ曲がったようなのをガリガリと書き連ねたあげくにどーどーめぐりから抜け出せず放棄したりしている。情けないったらありゃあしない。

  だから、ヒトには見せられない。
  死ぬときは一緒に燃してもらう所存だ。
  死んだ後にこのノートを見られるくらいならば、本棚にさりげなく隠してあるアダルトビデオを発見されたほうがナンボかマシである。


  映像関連の知人や、古くからの仲間と映画の話をしていると、たいていストーリー構成の話題となり、そして話す相手は違おうとも、同じような内容の話と結論に落ち着いてしまうことが多い。

  映画生誕以来、いったい何万本の作品がつくられたかは知らないが、現在ではネタが出尽くしている……つまり「完全に新しいもの」をつくるのはもはや不可能な状態にまできてしまっていて、既存のもののテイストをいかにアレンジするかという腕前が大切になってきている……というような話である。

  『ロミオとジュリエット』など、同じような内容で、仕掛けだけを大きく変えていったい何度映画化されたことだろう。『タイタニック』だってそのバリエイションに過ぎない。

  『美女と野獣』もまたしかり……いったい何度このお話しが使われたことか。

  とある古典的な書物によれば、人間の考え得る「ストーリー」の形というのは21種類だかなんだか、その程度しかなくて、その原型はすでに『日本書紀』や『ギリシャ神話』で語り尽くされており、それ以上に純粋に新しいものはなく、技術革新や文化程度の変化による「見せ方」の違いでしかない……いささか極論に過ぎると解釈される方もおられようが、実際に映像作品のストーリーというものを考えていると、技巧の凝らし方にはいくらでもバリエイションを考えつくが、根本的なストーリーに関してはなかなか新鮮味を出せないといった問題を実感してしまう……という話も出た。

  そんなわけで、自分たちの新しい(映像の)作品の話をしているとき、

  「要するに○×みたいなヤツでしょ?」

  「今回は×○系の話ってことだよね」

  ……といった言い方で、おおかた意味が通じてしまう。
  だんぜん目新しいことを考えているつもりでいながらも、自然とこんな言葉を使って話をしてしまい、フと我に返ると、あァやはりパターンというものはだいたい決まっているのだな……と、溜息をつくこともある。

  これは単純に私の力量不足がいちばんの原因なのだが、それなりに能力のある人々数名が集まってブレインストーミングを繰り返しても、同じような結果になることもまた多い。
  恥ずかしながら、どうしても以前にナニかで見たアイデア、そして“お約束”の展開に落ち着いてしまうことがある。


  ものすごく「あたらしいこと」を考えついたつもりであっても、それは単に「仕掛けが目新しい」というだけの話で、新しいというのは単に表面的な新鮮味だけに惑わされたカンチガイであり、根本的なストーリーに関しては先に書いたような数十種類の普遍的なパターンからは一歩も抜け出せていない……という厳しい現実がデデンと目の前に突っ立っている。何とも手強い“お約束”である。



  ―― とは言え、また別の見方をしてみると、“お約束”の展開という言葉はどうも印象が悪いものの、決してそれイコール落第点の内容だ、とは思えない部分もある。
  実際のところ観ていて安心する場合もあり、あまり頭を使わずに作り込んだ絵柄(特殊効果も含む)や俳優のスタンダードな演技に注目して、作品世界を楽しめる……このよくある設定の人物を、この俳優がいかに新鮮に演じるか……といった部分に集中して観ることが出来る。

  このサイトにいらっしゃる方々好みの作品で言えば、例えば休火山が噴火して悲劇を呼ぶ『ダンテズピーク』など、まずはその題材じたいが古くからあるものだし、内容的にも、あァちょうどここで地震が起こって大パニックになるのだな、このヘンクツなおばあさんはきっと誰かを助けて命を落とすのだろうな、この犬は間一髪のところで助かるのだろうな、この上司はきっと途中で改心して主人公を信じるようになるだろうが、多分死んでしまうな……など、観ていて面白いほどに予想でき、可笑しいほどにその予想が的中する映画だったから、観る人によっては「ナンダまたこんな映画か。手垢のついたお話をまた性懲りもなく……」と思われた方も多かろうが、私は純粋に「久々にお約束満載の“災害パニックもの”だ。これは安心して楽しめるぞ」と思ってしまった。
  しかも、ベラボウに絵が美しい。
  絵葉書のように美麗なたたずまいを見せる山岳が突如として地獄のように変貌するという部分が“要”になっているからであろうが、画面にはめ込まれた雪化粧の山脈などは、高度な合成技術もあいまって息をのむほど美しく描写されていて、画面が噴火の濁ったオレンジ色と火山灰の暗いグレイで塗りつぶされる後半の災害シーンと見事なコントラストを形作っており、その色彩設計に感心させられた。
  こういった部分も「お約束」であろうが、ビジュアル的にも充分楽しめた。


  しかしだからと言って、この「お約束の展開」がすべてにおいて「良いスタイル」だとはもちろん思っていない。

  観客の予想をどう裏切るか、観客のテンションをどう持続させるか、今までにないスタイルで、驚きや感動をどう構築するかというのは、頭が痛くなるほど考えてもそう簡単に答えの出ない難問であり、そしてまた魅力的な挑戦でもある。

  ビジュアルな部分に凝るのはもちろんのこと、映画の生命とも言えるストーリー展開の部分でどのような仕掛けをつくって心底楽しめる作品にするか……どんな環境の設定で、どんな人物を配して、どんな伏線を張るか……なかなかチカラが及ばないことを、いつも痛感する。そしてそれを実現した映画を観ると、ひどく感動してしまう。


  最近で言えば『シックスセンス』などはポピュラーな好例で、ラストの仕掛けなど観ている間にはまったく気づかず、一人でビデオを観ていた私は根が単純なものだから、思わず「マジっすか!?」と声に出して言ってしまった。
  あの難しい設定上、よくよく考えてみればストーリー展開の途中で多少の無理はあったのだろうけれども、そういったことを観客に気づかせず「絵的」に不自然さなく見せていくあの構成力、演出力はたいしたものである。

  「ナンダ、気づかなかったのか。オレなど30分ほどで気づいたぞ。宮本は頭の悪い単細胞なヤツだ」という声が聞こえてきそうだが、私はまったく違うラストを予想していただけに、良い意味で裏切られて逆に「よくできた映画を観ることができた」という満足感を味わえた。後になって真相を知り、アァそう言えばあのシーンで……というふうに気づくというのは、なかなか気持ちのいいものだ。



  ―― ほんの数十種類の基本的・普遍的ストーリーのバリエイションで、世の映画や小説は成り立っている……となると、アレンジにはかなりの苦労を伴うが、そういった「創作活動」の中で、まだまだこれから新鮮味を帯びたストーリーのアレンジで作品を発表できることが許されているジャンルが、ひとつだけある。

  それは、皆さんご承知の「ディオラマ」の世界である。

  別項で「ドラマを語れる模型はディオラマしかない」といったことを述べたが、小さなプラモデルの人形に“演技”させるのはなかなか難しいことも手伝って、この分野ではまだまだ発表されていない、そして開拓されていない題材がいっぱいある。

  イヤミの無いラブストーリー含みのミリタリーディオラマや、スリル溢れるポリスストーリー仕立てのディオラマ、映画『サイレントランニング』などのようなロボットと人間の交流を哀愁を帯びたタッチで描いたSF作品、ウィットに富んだコメデイー仕立ての作品などなど……世界に目を向ければ、欧米のモデラーがすでに先鞭をつけているかも知れないが、日本国内では一部の優れた例外を除いてなかなかお目にかかれない。

  映像作品の「ネタ探し」と同時に、趣味の世界でのディオラマのアイデア構築にも、常日頃から顔をしかめつつ、無い知恵絞って考え続けているわけであるが、自分の実際的な工作技術と相談しつつ考えていると、手頃なアイデアが簡単には浮かんでこない。


  映画にしろディオラマにしろ……イイ話、ないですかねぇ?


(文責:宮本 拓 200210)