"あとに残るもの"



  ある小説家のもとに、若い女性が訪ねて来た。
  彼女は「漱石を売りたい」と言う。
  なんのことかと話を聞くと、夏目漱石が生前、知人に宛てて書いた書簡が出てきたので、古書としての価値を踏まえて値を付けて欲しいということらしい。
  小説家は、いくら有名な作家のものとは言え、他人の書いた手紙に値を付けて売りたいという感覚を不快に思い、その申し出を断ったと言う。


  自分が死んだ後、生前に書いたプライベートな手紙が人目に触れて売り買いされるなど、ゾッとしてしまう。
  しかし言い換えれば、文字という「残るもの」の力とは、これほど強いものなのか、ということにもなる。


  最近、手紙というものを書かなくなった。
  もともと筆まめなほうではなかったが、ちょっとした連絡事項ならファックスで送れるし、いまではその役割も電子メールが担っている。

  生活の中から“残るもの”が減ってきている。



  私は高校時代、一年生のときから学校新聞の編集長を務めた。
  中学時代は部活で陸上を選んだので、高校に入ったら文化系のものを選ぼうと思っていた。
  身長184センチ……図体がでかいのでバスケ部や体操部からはよく誘いを受け、

「君、いいカラダしてるねぇ。うちの部に入らないか?」

  などと自衛隊の勧誘のようなことをひっきりなしに言われたが、もともと不器用だし、球技も体操も無難な線でこなすということが出来ない。


  バスケをやればダンクシュートが出来るというので珍しがられるものの、そんなの反則だと怒られる。
  図体のデカさを買われて、防御のときには自分のチームのゴールの下でディフェンス、攻撃のときには敵のゴールの真下まで走っていってボールが来るのを待つ……。
  なんでオレだけが端から端まで走らなければならんのだ、こんなの不公平だと思ってやめた。


  バレーボールをやれば、やはり防御のときにネットの前で両手を上げてブロックすれば図体がデカイぶん上半身の結構な面積がネットの上に出てしまい、相手の打ったボールが顔面を直撃する。
  何でオレだけ鼻がツブレにゃならんのだ、こんなの不公平だと思ってやめた。



  そこで、文化系である。
  まずは映画研究会を探したがそういった部活は皆無で、ヒョイと顔を出した新聞部の上級生にうっかり「捕まって」しまった。
  何とも地味で人気のない部活だったから2年生の部員がひとりもおらず、3年生だけががんばっていて、

「このままでは自分たちの卒業と同時に部は閉鎖されてしまう。写真撮影や現像などのテクニックも全部教えるから、ぜひ入部して欲しい」

  などと“泣き落とし”されて、シブシブ入部したあげく、入った途端に「新編集長」にさせられてしまった。なんてこたぁない、同期入部の連中にジャンケンで負けたのだ。


  乗りかかった船だ、どうなるかわからんが、とりあえず文章を書くのは好きだし、やってみましょう! ということで引き受けた。


  好きにやれと言われたのを真に受けて、まずは活動内容の改革から手を付けた。
  編集会議の進め方、特集の組み方、紙面のレイアウトや取材、宣伝広告獲得の方法……。
  試行錯誤の末、ややライト感覚ながら「タウン誌」的な要素を取り入れ、学校内の生活における問題提起の内容なども含めて、今までとかなり“作風”の違う新聞を年3回から4回のペースで発行することを成功させた。
  おかげで翌年からの入部者はかなり増えた。


  高校総体に泊まり込みで取材に出かけたり、バイクの免許取得禁止に反発してオフロードバイクの競技場を取材したり、いっぱしのジャーナリスト気取りで生徒会に批判的な記事を掲載して、生徒総会で生徒会長とケンケンガクガクやりあったり……何とも「青い」想い出ばかりだが、子供ながらにマァマァよくやったようには思う。



  ―― こうして作った新聞は今でも実家に保存してある。
  今、読み返してみると、当時の浅学、稚拙ながらもとにかく「何かを書かなければ」「何かを伝えなければ」といった妙に熱い息吹が伝わってくる。

  高校総体の取材に出かけていろいろな運動部の連中の写真を撮って喜ばれ、またまた「うちの部に入れ」などと言われた想い出も甦ってくる。

  敗退したテニス部の連中の、試合後の様子を撮影して「こんなの撮るな!」と食ってかかられたこともある。当時は憤慨したが、今思い返せば、高校生活最後の試合に負けた悔しさを噛みしめていたのだろうと思う。

  一字一句に、当時の自分と仲間たちの考え方や、おかしみ、怒りが感じられ、少しばかり感傷的な気分になると同時にひどく貴重な記録のように思えてくる。
  経年変化でやや黄ばんだ紙の色すら時間の重みを伝える良い味付けとなっている。


  もしもこれが現代のメールマガジン的なものであったなら、いちいちディスクやフロッピーに保存しない限りは消え去ってしまう。そうしたところで、ディスクが破損すれば消滅するし、プリントアウトしてまめに保存でもしない限り、このような長期間の保存は無理な気がする。



  映像も同じだ。
  三原色分解のネガで保存された1939年の映画『風とともに去りぬ』は、新しくプリントするとまるで昨日撮ったかのような鮮やかな色彩でスカーレット・オハラが甦る。
  フィルムの保存性の良さに心底驚く。
  しかし現在、フィルムを使う仕事は少なくなった。
  今の進んだ映像の媒体は取り扱いが容易だし、保存もラクになったが、果たして50年持つものなのだろうか?


  考えてみると、趣味の模型にも似たようなことが言える。


  作っていないプラモデルは「製品」だが、誰かが手を動かしてそれを作ると「作品」に昇華する。世界にひとつしかない作品である。
  しかし、これがどの程度「残る」のか、見当もつかない。
  自然に材質や塗料が劣化して、崩壊していくかも知れない。
  現在の世田谷の住処に保存してある模型の完成品で、最も古いものは1984年に作ったものだ。九州の実家にもどれば70年代末のものもいくつかある。
  幸いなことに、どれもまだ朽ちることなく、ほぼ原型を留めているが、それでも、いちばん古くたってせいぜい「20年選手」程度である。


  私は案外、自分の模型に執着するほうで、ときおり「譲って欲しい」とか「売って欲しい」という申し出を受けることがあるが、どれも丁寧にお断りしている。
  どうしても、というときには、お渡しするためのものを新たに製作することにしているが、その時間があれば純粋に自分の模型趣味を楽しみたいと思っているので、出来るだけお断りするようにしている。
  ときおり模型誌にご依頼をいただく作例に関しては、誌面に掲載されるということで「印刷物として自分の作品を保存」することもできるし、原則的に作例は返却していただけるので、それを自宅で大切に保存している。


  愛着があるもの……特に、自分でつくったものはどうしても手放したくなくなり、出来るだけ長期間保存しておきたいのである。

  なぁに、作品と言ったって、それは「ただの“物”」なんだから、そうこだわる必要もないサ……とも思うのだが、なかなかふっきれない。

  完成した模型には、それを製作していたときの自分自身の思惑や技術、センスが凝縮されている。年代順に並べてみれば、進化している部分もあるし、これは退化ではないかと思われる部分も垣間見える。自分自身のメモリアルになっているわけだ。
  またそれと同時に、自分が趣味として好き勝手につくったものは、いくら「作品」とは言え全責任を負いかねるということを感じてしまって、お譲りすることに躊躇するのだ。

  自分で手がけたもの……文章、映像、模型……どれも客観的にながめてみると、誇らしいこともあるにはあるが、大抵は赤面してしまいそうな恥ずかしさを感じることのほうが多い。コイツは「封印」だなと、苦笑してしまいそうなものも多くある。


  ……高校時代の、新聞という印刷物をつくる作業、そして映像づくり、模型作りを通して、
  私は「あとに残るもの」の楽しさ、素晴らしさを知ると同時に「恐ろしさ」も知ったように思う。人目に触れる「残るもの」には、全責任を負わねばならないと思っている。
  一度書いたもの、つくったものは「もの」としてのカタチでは残らずとも、それを目にした人々の記憶には必ず残っている。



  ときおりウェブサイト上の「掲示板」に、何を思ったのかそのサイトの管理人の方に対しての誹謗中傷、閲覧者の方々が不快に思うような汚い内容のことを書き連ねている人がいる。また、各種ジャンルの“作品”の批評をまるで書き飛ばしたかのような酷い言葉の使い方で、そして自分が全能の神のような傲慢な姿勢、書き方で無責任な字句を並べてコキ下ろしているような場合も見かける。
  何となく、年末から春先にかけて多くなる傾向があるように思う。
  受験シーズン直前に「放火」が多いのと同様、この時期には煮詰まって、ストレス発散の方向を誤ってしまう若者が多いのかも知れない。


  ……いくら「匿名性」があるとは言え、それを書いたその人自身の記憶、そして誰かがそれを読んだときの不快な記憶というものは、容易に消えることはない。

  数年後、数10年後に、他人の掲示板に醜い文章を書いた本人は、自分の行為を思い返して人知れず自己嫌悪に陥ることはないのだろうか? 
  それを一生隠し続けていかねばならないことに苦痛を感じはしないだろうか?


  少なくとも私はいかなるジャンルのものであれ「あとに残るものは怖い」と思っている。
  そういったことに対して大変に臆病である。

  だからこそ、それがいくら「おフザケ」に類する内容のものであっても、内容に関してすべて自分が責任を持てるものだけを「残す」ように心がけている。
  自分自身がピエロになって笑いをとるぶんにはいっこうに構わない。
  それを狙って書いている部分も多々あるから。
  しかし他人にかけた「迷惑」は、永遠に残って消すことが出来ない。
  そちらのほうが怖い。


(文責:宮本 拓 200110)