
どんな根拠があるかはまったく知らないが、「動物占い」というのが流行った。
それによると、私は“狼”らしい。
おおナント勇ましい! などと思っていたら、実際はそうでもないようだ。
“狼”の特徴を聞いてみると「クルマの運転が好き」とか「動くものをじっと見る癖がある」といったものらしい。
動くものをじっと見る……?
確かに当たっているようだ。
私は洗濯をするとき、洗濯槽の中で回転するシャツやタオルをじっと見ている癖がある。
見ていたところでヨゴレが綺麗に落ちるわけではないのだが、なぜかしばらく水流に踊る衣類の色彩をぼぉっと眺めているのである。
私がトンボだったなら、目の前で子供が指をクルクル回すとそれに見入ってしまってすぐに捕まってしまうだろう。
旧友の脚本家、K氏にも同じような癖がある。
フォミレスで、ウェイトレスが大きな盆に料理を盛りつけた皿を乗せて運んでくる。
「アメリカンハンバーグのお客様……」
と、注文を確認しつつ、ウェイトレスは皿をテーブルの上へ並べていく。
K氏は微笑みながら、彼女の手の動きを眼で追う。K氏の視線は盆とテーブルとの間をせわしなく往復する。頭ごと動くので、微笑みながらしきりと頷いているように見える。
「なんでそんなに見てるの?」
「いやーなんか、目で追っちゃうんだよね」
と彼はまた微笑む。
動物園のペンギンのコーナーで、腕時計のガラスに日光を反射させた丸い光が壁面を走り、数羽のペンギンがまったく同じ可愛らしい動きでそれを目で追い、頭を左右に激しく振っている映像を見たことがある。それを彷彿とさせる。または猫じゃらしを目で追う猫といった風情でもある。
今まさに手元に届いた待望の料理を見逃すまいとする本能的な心理が、彼の頭脳に働きかけるに違いない……と、これほどマジメに論ずるほどのことでもない。単にハラが減っているところに料理が届くので嬉しいということなのだろう。
K氏はかなり著名な脚本家であることを付記しておく。
知り合いの女性の嫁ぎ先に同居しているお祖父さんにも面白い癖がある。
ある晴れた日、彼女が洗濯物を干そうとベランダに出ると、手すりの上にグラスが置かれている。中に入ってる透明な液体からはしきりと小さな水泡が吹き出ていて、それが日光を乱反射させ、キラキラと美しく輝いている。
「わぁ、きれい!」
こんなところにサイダーの入ったグラスを置いたのは誰だろう……そう思いつつしゃがみ込んでコップをのぞきこんだ彼女の目に飛び込んできたのは、水泡の向こうに沈んでいる、大きな入れ歯であった。
驚いた彼女は、一家で唯一入れ歯を愛用している人物、お祖父さんの部屋に走り、なぜあのような場所にグラスを置いて、入れ歯の洗浄を実施しているのかを尋ねた。
「いや、特に意味はないのだが、昔からの癖でね。日光に当てながら洗浄剤で洗うと、消毒されるというか、余計に綺麗になるような気がするのだよ」
お祖父さんはフガフガと答えた。
今でもお祖父さんは健在である。今日も彼女の家のベランダでは、グラスに入れられた入れ歯が真珠のような泡に包まれ、美しく輝いていることだろう。
私の記憶が正しければ、知人の若手プロデューサーにも異様な癖があったと思う。
彼は“大きいほう”の便意をもよおし、トイレに入ると、全裸になってしまうのである。
一般的に考えれば、ズボンとパンツをおろしさえすれば事足りるはずなのだが、すべての衣服を取り除かないと便意を喪失してしまうらしい。
ちなみに彼は30代である。
子供じゃないんだから……と言いかけたが、三歳児もそんなことはやるまい。
つまるところ、彼は大変なきれい好きなのではないかと思う。
排便の際、ひょっとしたらひょっとすることもあるから、衣服を保護するためにとりあえず脱いでおく。そういう考えが知らぬ間に癖になってしまったのだろう。
もしも彼がどこかのビルのトイレで“大きいほう”の用を足しているとき、激烈な地震によってビルが崩壊し、消防隊による決死の作業で「そのままの姿」で救助されたら、彼のその後の人生はどうなるのだろう。ましてやソレがテレビ中継で流れてしまったらと考えると、ベッドの上で頭から布団をかぶって転げ回りたくなる衝動にかられるが、これも大きなお世話であろう。
―― 模型の塗装の技法に「ドライブラシ」「ウォッシング」というものがある。
簡単に言うと「ドライブラシ」は模型の表面にある凸部分を明るく浮き上がらせる、つまりハイライトを強調する作用があり、逆に「ウォッシング」は凹部に暗い色の塗料を流し込む……つまりシャドウを強調する作用がある。
このふたつを併用すると、コントラストの効いた作風に仕上がるのだが、実物がそのような塗装をされているわけではないので、あくまで「絵画的表現」という意味合いでのリアリティーになってしまい、あまりに人工的なので敬遠するモデラーの方もいる。
私はこの技法が好きで、ジャンルに関わらず模型の仕上げには好んで用いる。
これは、「癖」である。
学生時代から映画をつくってきたが、どうしても「特撮」「特殊効果」が必要になりそうな脚本を書いてしまう。
一般的なドラマの脚本を書いても、例えば情景描写の部分では何らかのエフェクトが必要となるようなイメージを脚本に書き入れてしまう。
特撮映像は、それだけでもビジュアル的な“見せ場”として成立するので、娯楽を全面に押し出した作品の場合は、そういった技法を出来るだけ使って観客を楽しませると同時にクラフトマンシップとしての自らの欲求を満足させたいという心理が働いてしまう。
これも、「癖」である。
人は「癖」の塊である。
一般の生活の中でも、仕事でも、そして趣味の世界でも、知らず知らずのうちに癖は顔をのぞかせている。
模型と映画の世界での私の「癖」を述べたが、実はもうひとつ大きな癖がある。
ドラマの脚本を書くときの参考になるからなんて言い訳をしつつ、ことあるごとに「人間ウォッチング」を楽しんでしまう悪い癖を私は持っている。
これを公然と述べると友達を失いそうで、今まで黙っていた。
コレを読んだ皆さん、どうかこれからも友達でいてください。
ヘンなとこまでジロジロ見ないようにしますから……。
(文責:宮本 拓 200109)