
私は普通の会社勤めというか、サラリーマン生活の経験というものがない。
数年間、映像制作会社に勤務してはいたが、業務の形態は一般的に見てかなり特殊なものだったろうと思う。
だから昔は、自分でシナリオを書く時にいちばん困るのは「一般の人々の社会的生活がわからない」ということだった。
一般の企業に勤めている人々の仕事……例えば、デスクワークと言うけれども、一体何をしているのか? OLさんの一般的な仕事の内容というのはどんなものなのか……?
皆目見当がつかなかった。
そんなわけで必要に応じて知人に話を聞いたりして「取材」を行っていたが、この仕事を長く続けているうちに、自分で特別に取材をしなくても、そのような一般的な仕事をしている方々の姿を垣間見れて、しかも詳しい資料まで入手できる絶好の機会を得られるようになってきた。
それは、VPと言われる、各官公庁・企業の広報用(会社概要)ビデオや社員の研修用ビデオの企画・構成・演出を依頼されたときである。
娯楽作品やテレビのオンエアものなどに比べるとはるかに地味な仕事で、お世辞にも楽しいとは言えないので、きらびやかな映像の仕事をしておられる方は敬遠されるかも知れないが、実は私はこの仕事が結構好きである。
その企業もしくは官公庁をPRしたり、またそこが手がけている事業等についての理解を求めるビデオをつくるとなれば、その組織の本質と詳細を……ともすればかなり裏側のちょっと公言できぬような部分まで知る必要があり、私にとっては絶好の資料集めの機会となる。しかもそれらの情報が、ビデオ制作のための資料として無償で与えられるのだからこんな嬉しいことはない。
そんなことを続けているうちに、それまでまったく無知だったビジネスマンや公務員の方々の仕事に関して、少しづつ知識を蓄積することが出来るようになってきた。
―― それが、実生活に思わぬ影響を与えることもある。
以前、とある大手自動車メーカーの依頼で、営業所の所長はいかに部下を教育していくか、そしていかにコミュニケイションをとっていくべきかという問題、つまり「人を育てるにはどうすればよいか」ということをテーマにしたVPをつくったことがあった。
さすが大手メーカー、完全にドラマ仕立てで、オトナ版「中学生日記」みたいなものを4部作こしらえることになった。製作体制、スタッフ編成もテレビドラマなみで、監督を任された私は中堅俳優相手に、非常に気持ちよく仕事をさせていただくことが出来た。
2ヶ月ほどかけて完成させた後には、営業所の所員と所長が実際にはどのような関係にあるとか、「ホット」と呼ばれる顧客契約終了、すなわち「クローズ」などなど、その業界やその会社特有の専門用語、スラング等にけっこう詳しくなっていた。
……私のクルマは、古い。しばらく洗車していないと途端にみすぼらしくなる。駐車場に置いておくと、時折ワイパーに販売店の方の名刺が挟まれていたりする。
ある日、久々にクルマを洗ってやろうと駐車場に出ると、販売店の営業の方とカチ合わせしてしまった。
彼はいろいろと良い条件を提示して、自慢の新製品であるクーペのアピールを懸命に展開する。しかし私はそのクルマに興味がなく「悪いけど俺、ホットの客になれないよ。他をあたったほうが、今月○×きつくなんないよ」などと言ったら驚かれた。
私が作ったVPは、彼の勤めるメーカーのもので、〇×は社内で使われる隠語だったのだ。
私の職場は、基本的には「男社会」である。
最近になってようやく女性の撮影部や編集オペレーターの方がポチポチと増えてきてはいるが、相変わらず男性主導の現場であり、例えば仕事先で恋愛対象となる女性を見つけようとしてもなかなか困難である。
だから合コンもしたことがないし、社内恋愛なんてものが出来る一般職の方々がときおり羨ましくなってくる。
そんなダメダメな人間性が、思わぬ事態を招くこともある。
ある日かかってきた電話をとったのが運の尽き、朝方と夕方に不動産関係の若い営業マンが毎日のように電話してくるようになった。
「いや〜同郷のよしみで、試しにいっぺんだけ話しを聞いていただけませんか?」
大抵は仕事などを理由にお断りしていたのだが、ある日うっかり電話に出たら、どこでどう調べたのか、ウチの近所まで来ているので寄りたいと言う。
しぶしぶ了承すると、とっととウチにやってきて、何かの物件を見ないかとしきりに勧める。そんな買い物をする余裕も予定も無いので断ると、またまた「同郷のよしみで……」と、誰か友達を紹介してほしいと言い出した。
さすがにちょっと疲れてきた。
そこで、うっかりこんなことを口走ってしまった。
「友達紹介するって言ってもなぁ……そうだ、合コンやろうよ合コン!
ねえねえ、アンタんとこの会社って、けっこうデカイんじゃないの?
探しゃあ可愛い子もいるっしょ?
俺もさぁ、去年オンナと別れてヒトリでさ、つまんねぇのよ。同じ業種の子じゃ扱いづらいし、モデルやタレントに手ぇ出すわけにゃいかねーしよ。やっぱフツーの子がいいよフツーが。OL、いいよなぁ。タイトスカート履いちゃったりして、く〜っ。
5〜6人でいいからサ、お持ち帰りオッケーみたいな子、集めてちょうだいよ。
俺も友達集めっからさぁ、ねぇ、セッティングしてよぉ、合コン!
それだったら俺みたいなのがいっぱい来るぜ!
イイ商売になるぢゃんねぇ、アンタも!」
私は彼ににじり寄って、まずは腕をつかみ、しまいには肩に腕を回して熱弁をふるう。最初は苦笑いしていた彼だが、次第に顔がこわばり、いかにも「やべェな、妙なスケベオヤジに捕まっちまったぜ。コイツはハズレだ」と言わんばかりの表情になり、急に用件を思い出したようなことを口走って足早に帰ってしまった。
いくら営業活動に熱心でも、「俺みたいなのがいっぱい」来てもらっては困るらしい。
……あれ以来、電話一本かかってこない。
私は彼が、メモ帳のリストに書かれた私の電話番号の上に、自分の会社のロゴが印刷された安物のボールペンで2本ばかり線を引っ張って「削除」している光景を想像して、ひとり苦笑する。
底なしの不況である。
世の営業マンたちよ、がんばれ!
ワタシみたいなのばかりが客じゃないぞ。
(文責:宮本 拓 200108)