
退職してフリーランスとなり、都内に引っ越してきてから干支が一回りしてしまった。私は頑なに一人暮らしを続けている。独身特有の自由さに慣れっこになっていて、たとえ愛する人と出会っても、一緒に住むということに何かしら気後れするものを感じるかも知れない。まァいいさ、ひとり気楽な生活もいいもんだ……などと思ってはいるのだが、ひとつだけ、どうにも困ることがある。それは、何らかの理由で寝込んでしまったときだ。
……非常に短い期間であったが、私には今でも忘れられない「闘病生活」の記憶がある。
ある年の初夏、あれは日曜日だった。私は自分でも驚くほどの高熱を発して倒れてしまった。
前日の夜半、どうも体調が悪いなぁと思いつつベッドに入ったのだが、朝方ひどい悪寒で目が覚めた。体中の関節が痛み、熱で頭がクラクラする。体温計で計ってみると、ぐいぐい伸びた水銀柱はなんと41度を超えたあたりにまで到達してしまうではないか。
こりゃあイカン。具体的な体温を自分で知ってしまったのが逆効果だったのだろう、一種のショック症状で目眩がして、そのうち私はゲラゲラ笑いだしてしまった。何が可笑しいのか皆目見当もつかないが、とにかく悪寒で震え、歯までカチカチ鳴っているというのに、私は体温計を見て「ほーっ41度出ちゃったりなんかしちゃったりしてーっ!」とか言いつつ、笑い転げているのである。あまりの高熱に精神がおかしくなってしまったのではなかろうか。イヨイヨいけない。郷里で開業医を営む親父が以前送ってくれた解熱剤を飲もうとも思うが、空きっ腹にそんな薬を飲んでしまっては今度は胃がやられてしまう。何はともあれ食物を口にして、多少なりとも体力を回復させなければ……しかし、独身一人暮らし野郎のアサハカなところ、冷蔵庫には食い物らしきものが皆無で、冷暗所保存が必要なフィルム類や工作用の接着剤が詰め込まれているだけである。情けないったらありゃしない。
こうなったら仕方がない、他人様におすがりしよう……ここで私が親しい女の子に電話をかけると思ったら大間違いである。熱を出してゲラゲラ笑い、半ば廃人同様になりつつも、寝癖でぐしゃぐしゃの頭に無精ヒゲ、品のないトランクスに安物のTシャツという姿をご婦人には見られたくないという、瀕死の男のチッポケなプライドが力強く働くのだ。
――結局、この発熱して大笑いしながらベッド上を転げ回る図体のデカイ狂人からの電話で、休日の心地よい眠りを破られた気の毒な男は、某VAPの某穂山プロデューサーであった。
当時、彼は比較的近所に住んでいて、私が電話をしてから一時間後には食料とアイスノンを持って拙宅を訪れてくれた。パンとイチゴ牛乳を口にして薬も服用し、やや心の安まるのを感じていた私は、翌週には高名な大○宣□監督のインタビュー収録に出向くといった彼の話を聞かせてもらったりして、けっこう長いこと談笑を楽しんだ。気持ちもなごみ、少しはよくなったかなと錯覚した。
ところが夜になっても、病状は好転しないのだ。親父に電話をかけたがあいにく留守で、姉夫婦の家に電話をかけて体の不調を訴えた。義兄も医師で、それだけの熱があるなら医者に診てもらったほうがいいとアドバイスをしてくれて、最後に「男だからサ、そんなに熱出すと、アッチのほうがダメになるよ」と付け加えた。
私は、受話器を落としそうになった。顔色が変わるのが自分でも意識された。
それだけは、それだけはそれだけはそれだけはそれだけはそれだけはそれだけはそれだけはそれだけはそれだけはそれだけは、ナントしてでも避けねばならない!
私は某穂山君の持ってきてくれたアイスノンを、下半身に使用することに躊躇しなかった。
――翌朝、熱は39度ほどになってはいたが高熱にはかわりなく、体調はすこぶる悪い。しかも、何だか手足に発疹があるように思える。これはもしかすると、風邪ではなく、ナニカまずい病気なのではないだろうか? みっともないほど取り乱した私は、ときおりお世話になっている開業医のシオジマ先生に電話をかけた。
「しっシオジマせんせーっ、く、薬をぉおおおおおおおーッ!」
「いーから、すぐきなさい。ガチャン」
ヘロンヘロンになりながら医院まで歩いて行き、ようやく先生に診ていただいた。
診断が出た。
「アンタ、三日バシカだよ」
「……え?」
「子供のビョーキ。ちっちゃい頃、やらなかったの?」
先生は、机の引き出しから表を取り出して見せてくださった。その表には、小学何年生だとか年齢5歳〜10歳といった文字が散見できた。
「ホラ、ね、小学生だと、三日バシカで何日間休む、と。他の子にうつるからさ、決められてんのよ」
……このとき私は、32歳であった。
とりあえず、薬を飲んで寝ておくほかないと言われ、看護婦さんの笑いをこらえた三日月おめめに見送られつつ帰宅した。とんだ恥をかいた。
そのとき突然、私は大変なことを思い出してしまった。私を見舞いに来てくれた某穂山君に、三日バシカをうつしてしまったのではないか !? それどころか、彼はかの○林×彦監督にインタビューをすると言っていた。長時間、監督のそばにいることになる!
監督危うし!
私は慌てて某穂山君に電話をかけた。
「コレコレシカジカで三日バシカだったのだ! うつってないか? 発疹はないか?」
「なにーっ !?」
電話のむこうで、彼が慌ててシャツをめくり、自分の体を調べている気配がした。そして彼は言った。
「み、見えない……」
彼は、毛深かった。皮膚が、見えないのである。
それからほぼ一週間、私も彼も戦々恐々、眠れぬ日々を送った。
幸い某穂山君に発症は見られず、もちろん監督が倒れられたという報道もなかった。
私も、三日バシカとはよく言ったものでほどなく快癒した。
その後、某穂山君にアイスノンを返却しなければならぬと思い立って電話をかけた私は、短くも実に濃い闘病生活の詳細を得意気に語って聞かせた。すると意外なことに、彼はアイスノンはもういらぬ、と言う。
「なぜだ、貸してくれたものなのだから、俺は返す」
「冗談じゃありませんよ。アナタが股間に使用したものなんて、もしも俺が熱出して寝込んだときソレを頭の下に敷いて寝たら、どんな夢見るかわかったもんじゃない!」
「失礼なことを言うな。昔から一富士、二鷹、三なすびと言って……」
「ぜんぜん意味がわかりません!」
……彼は、アイスノンの返却を頑なに拒んだ。
――こうして我が家の冷蔵庫には、万が一に備えて保存のきく冷凍食料と、もらいもののアイスノンが常備されることになったのである。
(文責:宮本 拓 20010627)