
昔々、プラモデルに手を加えて作ろうとすると、材料はプラ板とパテ、真鍮線くらいしか無かった。
古いプラモデルは、発売された当時にまだ実物の資料が豊富でなかったり、金型成形上の技術的な問題もあって実物とやや形状が異なったりすることが多かった。多くの熱心なモデラーたちは、自分なりに実物の写真、図面等の資料を集めて独自にリサーチして、より実物に近いリアリティーが得られるように模型の細部を工作して、それがその人なりの「個性」として作風に反映されたりしていた。しかし何せ使える材料が少なく、今では考えられないような苦労をしたものだった。
――現在では接着剤ひとつとっても様々な種類が豊富に発売されていて、工作のパターンによって使い分けることによって要領よく、美しく仕上げられるようになった。パテも、従来のプラモ用パテ以外にポリエステルパテやエポキシパテが模型工作に多用されるようになって、複雑な工作もしやすくなった。また各種の別売ディテールアップ用パーツ等も数多く店頭に並び、模型の作り方自体、非常に幅広く楽しめるようになり、作品のレベルも飛躍的に向上した。昔からこの趣味をやっている私から見るとそれらの新技術はきらびやかすぎて、時についていくのが難しく感じるほどだ。
しかし、こうなってくると困るのが「骨董品とも呼べる貴重なキットをどう仕上げるか」ということである。
今から30年、40年前にリリースされたプラモデルは、当時としては高品質であったとしても、現在の目から見ればリサーチ不足で形状が実物とえらく違っていたり、細部の表現が曖昧で精密感に欠けたりする場合が多い。最近のプラモの開発技術は飛躍的に進歩しているから、昔のキットでそのまま現行のモデルと並べて遜色の無い仕上がりになるものは、もはや皆無と言っていい。勿論「時代を超えた永遠の名作」と呼べる品もあるにはあるが、希な例だ。
……そんな骨董品モデルを手にしたとき、それをどんなテイストで仕上げるかということでいつも悩んでしまうのだ。
そのキットを「素材」と考えて、形状や表現に不満の残るパーツは現在発売されている各種のディテールアップパーツと交換することによって、見違えるように精密で繊細な仕上げを楽しむことが出来るだろう。しかも昔に比べて実物の資料も豊富に出回っているから、表現に誤りのある部分は資料と見比べながら各種の使い易い工作材料を使って自作、修正することも比較的容易に出来るだろう。
しかし、そのキットの「現代での存在意義」を考えた場合、果たして原形が何のキットだったかわからぬほどに手を加える意味があるのだろうか、と考えてしまう。
リサーチ不足で実物と形状が異なったとしても、それはそのキットが発売された時代の状況を反映しているわけであって、それは「明らかに間違い」とわかっていても、生かすほうが意味があるのではないだろうか? 一種の考古学的な意味もあるのではないだろうか?
本当にリアルで精密なモデルをものにしたいならば、現行の高品質なキットを作ればいいわけで、あえて骨董的価値のあるキットを作るのならば、そのキットの歴史的意義を認めて、本来の姿で完成させるのがいちばんいいのではなかろうか?
しかしその反面、情景写真等で楽しむ場合に、古いキットをそのまま組んだものと現行モデルを「共演」させるとあまりにもその仕上がりの違いがチグハグすぎて滑稽になるかも知れないし、単にコレクションとして楽しむにしても、やはり現在のものと並べて置くと随分と貧相な仕上がりに見えて、かえって魅力をなくしてしまう……夢を壊してしまうことにならないだろうか?
……そんなことを考えてしまうのである。
いちばんいいのは、「貴重な古典キットは作らずに、そのまま保存する」というこなのかも知れない。手をつけず、パッケージも美しい状態を保ったままで大切に保存して、パーツのままの状態や組み立て説明書をながめて、組み上がった姿を想像するのが楽しいのかも知れない。
または「貴重な古典キットは万難を排してでも同じものを二つ入手して、ひとつは完璧にディテールアップして現在の技術レベルに対応する、満足できる仕上がりで完成させ、もうひとつは未組み立てのまま保存する」というのが理想的なのかも知れない。
しかし、貴重な古典キットはたいてい品薄で複数を見つけること自体が困難だし、しかも大抵の場合かなり高額のプレミア価格が付いていて、例え発見したとしても複数買いそろえるのはとても無理だ。
そうなると私の場合、意を決して組み立てて、完成品というカタチで保存するほうを選んでしまう。
プラモデルは組み立ててこそ意味があるもの、組み立てるからこそ、「個人の作品」として成立するのだ……なぁんて、こりゃちょっとキレイゴトで、要するにガマンできないのである。それを買ったということは、好きなアイテムとしてそのキットに惚れ込んでいるわけで、どうしても作ってしまいたくなる。パーツをながめていると「貴重なキットだし、一個しかないし、これを作ったらもう二度と手に入れるコトはできないかも知れない……どうしようか……えぇーい、作っちまえっ!」ってなコトになってしまう。お世辞にも上手な仕上がりとは言えぬかも知れないが、パーツの状態ではなく、立体の模型となったカタチのものを手のひらに乗せ、じっくりながめてみたい衝動にかられてしまうのである。
今、私の手元にいくつかの骨董品プモがある。現在ではメーカーごと消滅してしまった米・レンウォール社の1:32ミリタリーモデル。同じく米・ライフライク社の1:40ミリタリーモデル。田宮模型が発売していたモーターライズで走る戦車、ミドリという日本のメーカーが出していたオリジナル・デザインの魚雷艇……。いずれも1950年代から60年代にかけてリリースされていた品である。
どれも、今となっては貴重な品々だが、ひとつづつしか持っていない。
私は、これを作ろうと思っている。完成したらできるだけ美しく写真に撮ってこのサイトで公開して行く予定だ。
――いずれアップロードされるであろう古典的モデルたちを見て、テキストを読み、私がコレをどう作ればいちばん意義があることになるのかアタマをかきむしって悩んでいる姿を想像して、笑っていただければ、と思う
(文責:宮本 拓 200104)