
自分でシナリオを書いたりするとき、無意識のうちに気をつけていることがある。
「お約束のセリフ」というヤツだ。
だいたいにおいて、この「お約束」という言葉もいったい誰が、いつ頃から使い始めたのか? 何だか便利で使っちゃいるが不思議なセンスの言葉である。
さて、映画やテレビを観ていて気になる「お約束」のセリフというのが、例えば……
「いまのうちに早くっ!」
「おのれっ!」
……こんなこと言ってる人、見たことがない。こんな時に今のうちにって急に言われたって心の準備とかがなぁ。3分くれよ、とか思っちゃう。
会話としてお約束なのが、
「いつもすまないねぇ」
「おじいちゃん、それは言わない約束よ」
コレは、初めて使った人は誰なのだ? 時代劇等では感心するほどお馴染みのセリフで、粗末な農家で老人が病臥している横で娘が食事の支度でもしようもんなら「ホレ、言うぞ、言うぞ……いつもすまないねへ、なはに言ってるのおじいちゅあん……あーっ、言っちったよ!」てなもんである。
何だか、ウルトラマンの怪獣が退治されて死ぬとき、着ぐるみの怪獣の目の電飾を消して「あ、今死んだのね」というのを再現するのと同じ感覚。アレも考えついた人はエライよなぁ。子供が見てたって、説明のセリフなしで、あー死んでる死んでるってわかるもの。電球消しただけですよ。それでわかっちゃう。すごいと思うよマジで。
刑事・探偵・推理ものなどで、何かに思い当たったときの……フっと遠い目をしつつ、
「とすると……」
これも、実際あまり言う人はいない。
ヒドイのになると、
「あなたを殺して、私も死ぬわっ!」
こんな迷惑なハナシはない。ドダイ無理だよそんなの。どっかヨソでやってくれ。
ただ、「書く側」「つくる側」としては、とりあえずこのへんのセリフを入れときゃあ、これまた何となく次のシチュエイションに進める「免罪符」になっちゃったりして、便利だというのがまた情けない。そんなワケでややエキセントリックな演出を敢えてやっちゃうとか、そういうことが無い限りは出来るだけ「フツーの人がしゃべっている」言葉でセリフを考えるように心がけている。これはまた難しいコトで、なかなか「フツー」にならない。映画というのは「虚構」の世界だから、どうしてもそんなところに現実との「ギャップ」がチラホラ顔を出してしまうのだろうが、まさかこんなコト言う人はいないだろうなぁと思うセリフは、例え便利だったり、面白い言葉でもなるべく使わないようにはしている。
――ところが、いるのである。こういう言葉を実生活で実にスマートに使いこなせる人が。
仮に、M氏としておこう。もう何年もお会いしていないが、以前お仕事で何度かお世話になっていたときで50代、江戸っ子チャキチャキの雰囲気が心地よいプロデューサーだった。映画『アンタッチャブル』の時代のようなクラシカルでオシャレなスーツ。パリッとした、細いストライプ入りのシャツにハンケチってヤツですか。ズボンはサスペンダーで下げており、オールバック。やや三船風の顔立ち。でもちょっと背は低い。
人柄がすこぶるよく、幅広い年齢層の女性に人気があった。
M氏「おぅ、ミヤモっちゃん、手数かけてすまねぇが、今度のコンペに参加することになってよ、ついてはシノップスを書いちゃあくれねえかな」
……普通、コレは「シノプシス」と言う。M氏の「シノップス」の後半「…っぷすっ」という発音がまた、イナセである。
私「あっそうですか、どのくらいのボリュームで……」
M氏「なぁはに、簡単なこってよ、そうさね、A4で2めぇか3めぇってとこだぁな」
……私は紙の枚数を「いちめえ、にめえ」と数える人に(現実社会では)初めてお目にかかった。けっこうカルチャーショックである。
一度仕事中に、私が当時付き合っていた女性から電話がかかってきたことがあった。車中だったため、携帯から女性の声が漏れたらしいのだが、電話を切るとM氏は、まったくかんべんしてくれと言いたくなるほどのニタリ顔で、
「おっおっ、ミヤモっちゃん、なんだいスミにおけないねぇ、今のはアレかい?ミヤモっちゃんの、レコかい?」
……小指を立てて、「レコかい?」ときたもんだ。レコですぜ、レコ。「死語」という言葉自体が「死語」になりつつある昨今、こういう言葉を実に自然に使われてしまうとソレが正しい日本語のように錯覚してしまうから不思議である。「死語」と言えば、一度仕事の打ち上げで飲みに行ったときのこと、私とM氏はその後ちょっとばかり打ち合わせがあったものだから二人して先に退席させていただくことになった。バーの中は賑わっている。皆、カナリ酒も回っている。そんな中M氏は「ちょいとすんません、はいどーも」とか言いつつ人の波をスルリスルリと抜けて主催者に近づいていく。……コレは、言うんぢゃないか。Mさん、言っちゃうんぢゃないか、あの言葉を。
M氏、主催者に話しかける。にこやかに、
「いやはぁどうも、私と宮本、ちょっとお先に、ドロンさせていただきます」
あー、言っちゃったよMさん、ナイス! 期待に応えてくれてサンキューベイベ!
古典的映画に出てくる忍者のように両手の人差し指をキュッと上げつつコレを言われた日にゃあ、まず引き留める人はいない。とっとと退席。スバラシイ。
一度だけ、食事をご馳走したことがある。なかなか面白い味付けのトンカツを出す店があり、いつもお世話になっているし夕食をご一緒に、ということになったのである。
店に入り、二人して特製のトンカツを注文。
ビールをやりつつ待っていると、店の女の子が料理を運んできてくれた。
M氏「ほっほぉーっ、美味そうじゃあねえか、ミヤモっちゃんどうだい見てみな、このカツをよう」
嬉しそうである。と、店の女の子、
「ご飯とおみそ汁、キャベツはお代わり自由となっております」
M氏「おほっ、ありがてえ!」
……ありがてえ、である。
ありがてえ、だよみんな。
初めて聞いたよ「ありがてえ」って言葉。実生活で。
私はもうM氏が好きで好きでしょうがなくなった。
ちくしょうなんでこんなにイカシてるんだこのおっさんは。オレも歳とったらこんなふうになりてえもんだよ(すでに感化、江戸っ子調)。
……何が「普通」で、何が「劇的効果」なのか。人間ウォッチングではないけれど、町中を歩くときや電車に乗るとき、フと周りを見回して、面白い特長のある人を探してしまうのがクセになっている。自分で脚本を書くとき、登場キャラクターの何らかの参考になれば、と思ってしまうのである。でも、前に述べたように出来るだけ「自然」で「普通」なセリフ等を心がけていたいとも思っている。
しかし……日本の人口一億数千万。それだけの「人格」が存在している。アレンジの題材は無限であるし、そして自分が創造した架空のキャラクターを遙かに超える人物が、実在したりもする。こりゃあ一生、勉強である。
(文責:宮本 拓 199811)