
日本国内にいったい幾つの“プラモデル系ウェブサイト”が存在しているか見当もつかないけれども、当サイトとリンクしてくださっているお友達のサイトや、ネット上を流れ流れてまったく存じ上げない方の運営されているサイトをコッソリのぞいたりすると、そのサイトオーナーの皆さんが、想い出に残る懐かしいプラモデルについて書いておられるコンテンツが存外多いことに気づく。
元来プラモデルというのはノスタルジックな色彩も強いホビーであり、また現在プラモデル系サイトを運営されている熱心な方々は長らく模型趣味に親しんでこられたベテランの方が多いということもあり、知識や経験の蓄積が豊富で、その方の幼少の折りの記憶が温かい文章で綴られており、読んでいて楽しいものが多い。
ココも一応プラモデル系サイトだし、私もときにはそんな文章を書いてみたいなぁ……と前々から思ってはいたのだが、国産プラモの黎明期からこの趣味に親しんでいる大先輩の方々の書くものならばイザ知らず、私のような若輩者の想い出なんて、どーガンバッテ書いてみても誰でも知っているありきたりのものにしかならないわけで、果たしてそんなものを書く意味があるのだろうか?
……そんなことも考えて今まで書かずにいたのだが、とりあえず自分の記憶を整理してみる意味も含め、備忘録的に書いてみるのも悪くはなかろうと思い直し、当サイトを訪れてくださる皆様へのご挨拶がわりにここでまとめてみることにした。
このサイトでは様々な模型のコンテンツを扱っているし、中には私の拙い自己紹介的文章も含まれていたりするので、このコラムと他で内容が重複するものも出てこようが、コレはあそこで書いた、コレもあの時書いた……などとやっていては逆に収拾がつかなくなってしまうので、他のコンテンツ内容と重複する部分があるのは敢えて承知のうえで、思い出すまま“順不同”で掲載した。
また当サイトとしては珍しく、完成品ではなく「キットのままでの掲載」というかたちをとっている。つくっちゃうと「子供の頃の印象」とギャップが出るので……(^^;)
なお、ワタシは昭和40年という中途半端な時代に、宮崎県の片田舎という中途半端な場所で生まれ育った。
その土地柄と世代からして、このコンテンツにはびっくりするほど貴重なキットの画像はゼンゼン出てまいりません。
加えてそれらのキットに対する私の記憶(思いこみ)と一般的な評価とでは、ずいぶんとヒラキがある場合もあります。あしからず(^^;)
※使用したイメージ画像は、製品のパッケージや組み立て説明書をスキャニング、コラージュしたもので、画像に関する権利等はすべて当該の模型メーカーに帰属します。

ホントはネ、想い出に残る品をひとつづつ採り上げようと思ったんです。
しかし数が多くて……。シリーズとしてまとめて述べることにシマシタ。
1970年代当時、タミヤはモーターライズで動く(シングルモーターライズと、モーターを2個使用するリモコン戦車の二本立てだった)「戦車シリーズ」と、動力は内蔵していないが、そのぶん車内まで精巧に作り込まれたり人形等のサービスパーツが豊富に付属したディスプレイタイプ(展示・鑑賞用)の「MM(ミリタリーミニチュア)シリーズ」という、戦車・軍用車両のプラモデルシリーズを平行して販売しており、ちょっぴりオトナの模型趣味を楽しみたいオマセな坊主はMMシリーズを作っていて、モーターライズの戦車は子供向け……という感覚があったように思うけども、子どもの頃の私はモーターで動こうが動くまいが、カッコイイと思えば何でもつくっていたので、モーターで走らないと子どもにウケない……という感覚が全然わからなかった。
今の歳になって、動く模型はやはり子どもにとっては魅力があるんだなァというのがやっとわかってきたようなアンバイである。
当時は本物がどんなものかなんてほとんど知らず、ただカタチが気に入って、または映画などで走る実車の映像を見かけて欲しくなり、61式戦車やM4シャーマン、M41ウォーカーブルドッグ、パンサーA型などを親にねだって買ってもらって作っていたが、小学3年生の頃、MMシリーズのソ連軍重戦車「KV−IIギガント」を作ってから認識が変わった。その組み立て説明書の表紙に詳述された実車解説文の“名調子”に、すっかりヤラレてしまったのだ。それは、とてもプラモデルのオマケの説明文とは思えないほど熱のこもった「読ませる文」だった。
このあたりからMMにすっかり魅せられてしまい、キットの中身だけでディオラマになってしまいそうな88ミリ砲や、小柄ながらもエンジンまで再現され、風情のいい人形を含むオマケのいっぱい入ったウィリスMBジープなどをセッセと作り始めた。
このシリーズは(今でももちろんそうだが)車両以外にもいろいろな国の兵隊やバリケード、ドラムカンなどが豊富に発売されているのが楽しくて、何やら「ものすごく小さいGIジョーシリーズで遊んでいる」というような感覚が楽しかった
モーターライズの「戦車シリーズ」では、M36ジャクソンやM42ダスターは不思議と洗練されたスタイルを持っていて、砲塔がオープントップで何やらゴチャッとした複雑な火砲の装填部分が見えたりするのが模型としての魅力満点で嬉しかった。
サスペンションまで効いてモーターで走るけど砲塔の中や裏側がガランガランのM8グレイハウンド、改造にチャレンジしてバラバラにしてしまったサラディン装甲車、時代に取り残されつつ最後の最後までゴム製キャタピラで頑張っていたT−55コマンダー戦車なども懐かしい品だ。
タミヤの1:35ミリタリーモデルは、世紀を超えて今でも大変お世話になっている。

いちばん作ったのは小学3年生くらいの頃。
デパートの割引で、1台¥405で買えたのを憶えている。
とにかく、組み立てが簡単ナノダ!
ツメキリでパチンパチンと部品を切り取ってペタペタくっつければ30分ほどで完成して、単3電池2本をどこからか調達してくればすぐに走らせることが出来た。
スピードはそう早くないけど、それがまた戦車っぽくてイイ感じで、しかも車体が軽いからか、けっこうな登坂能力を誇り、金属製ギヤボックスをうならせてチャンピオンコミックス等の文庫本漫画数冊をやすやすと乗り越えた。
そのわりにはカタチも細部もしっかりしていて、格好の良いパッケージともどもチョットした高級感が味わえた。
初めて買ったのはMBT71という陸上自衛隊の試作戦車で、後にこれが74式戦車に発展するなどとは、61式戦車しか知らぬ当時の子どもには想像も出来ないことだった。
M60A1シャイアンなどは、同じ商品名の1:35キットも作ったので、砲塔左右の手すりや後部の「荷物を入れるカゴ」などの細かいパーツが再現されていないのに不満を感じたが、MBT71はヤケに良く出来ているように見えて同じものばかり3台ほど作って並べた。「バルカン」という商品名のスウェーデン製Strv103 “S”タンクは、見たこともないカタチをした戦車で異様にカッコヨク見えた。
1:48というのは実際つくってみると実に手頃な大きさで、こういった年少者向け入門用とも言える楽しいシリーズが少なくなった現在、チト寂しい思いをしている。

戦争映画ではよく見かけるけど、名前も知らない、あのかっこいいジープみたいなトラック、いったい何だろう……?
その疑問を解いてくれたのがMAXの“ビープ”だった。
小学5年生くらいだったと思う。とにかくそのツラガマエが、いかにも「タフな軍用トラック」といった感じでかっこよかった。
MAXのダッジ3/4トンWC52シリーズは他に「コマンド&リコナサンス」「M6ガンキャレッジ」「アンビュランス」「パーソナルキャリア(6輪)」があり、片っ端から作った。しかも、それぞれに給水タンク車やトレーラー、デブッチョの将校、避難民の子どもと対話するアメリカ兵の人形などの楽しいオマケが付いていたし、とても詳しい実車解説書や作り込むためのテクニックを紹介した組み立て説明書などは読むだけで楽しかった。
とは言え作りにくさは第一級で、アンビュランスは子どもの手に負えなかった。
実はMAX製品は10歳くらいの頃「ホワイトM3A1スカウトカー」を作って手痛い目にあっていた。難しくて完成しなかったのだ。
そんな経験もあって「このメーカーはボクでも簡単に作れるタミヤ製品とはちょっと違うぞ、手強いゾォ……」という警戒心が働き、かなり慎重に組み立てた憶えがある。
それもあって完成時の喜びは大きく、ちょっと「プラモデルつくるのがうまくなった」気になったもんである。

中学生の行動半径イコール自転車で無理せず夕食時までに帰宅出来る距離……そんな頃、私の「航続距離」ギリギリのところにあった小さな模型店「たからや」で見つけたのがこの巨大なドラゴンワゴン戦車運搬車のモーターライズキットだった。
小学生の頃、昔MAXが発売していたドラゴンワゴンがトミーから再販され、東京の大学に通う姉を訪ねて上京した際、連れて行ってもらった西荻の専門店「ナカマ模型」でソレを見つけたのだが、一人旅の子どもが東京から持ち帰るには大きすぎて買えず、悔しい思いをしたキットだった。
中学生になった頃、自転車を1時間ばかり走らせて「たからや」に行った際、店のオジサンが「あんた、こういうの好きそうだから……」と、店の奥からゴソゴソ出してくれたのが、トミー版どころか当時としても絶版のMAX版ドラゴンワゴンだったのだ!
中学生の私には宝物に見えた。
友達から¥500借金して買って帰り、マタこんなでっかいものを買ってきて! と親に叱られるのを予想して密かに部屋まで運んだ。スリル満点だった。
何せモーターライズで走る戦車運搬車のプラモデルである。実に遊び甲斐があって、そのトレーラ部分に戦車だろうが飛行機だろうが、ナンデモカンデモ積み込んで走らせた。
壊れた部分を補修したり、塗装し直したりして、5年くらい部屋の中に君臨していた。
当時は、コレが実車とエラク形が違うとかタイヤが小さすぎるとか、そんなことは何も知らなかったし、気にしなかった。
楽しく、幸せな時代だったと思う。

小学4年生の頃に出会った。
モノグラムなんて、田舎の子どもにとっては聞いたこともないメーカーだったが、バンダイが提携して「バンダイモノグラム」というシリーズで発売され、地方都市の模型店にも姿を見せ始めたわけだ。
ほとんど国産品しか見たことの無かった当時、バンダイモノグラムの完成品写真をメインに据えたパッケージはかえって新鮮に思えたものだ。
キットにはオマケとして、下敷きほどの大きさの厚紙に印刷された塗装用カラーガイドとその機体が配属されていた航空部隊のマークが大判のステッカーになって入っていて、これを集めるのも楽しかった。
でも、F4Fワイルドキャットに付いていた「爆弾を転がす黒猫」のステッカーはアマリニモ漫画チックで、自転車やランドセルに貼るのはちょっぴり恥ずかしかった。
きっと今だったら、逆に堂々と胸を張って貼っちゃうだろうなぁ。
実はバンダイモノグラム版で初めて買ったのはイギリス空軍のモスキート爆撃機で、テレビ放映された映画『モスキート爆撃隊』に影響されてのことだったと思う。
他にも可動部満載のアヴェンジャー雷撃機やコルセア戦闘機、そして完全ディスプレイキットのエアラコブラ、マスタング、スツーカなどを作ったが、やはりいちばん想い出に残る機体はこのドーントレスである。
ドーントレスは、主脚が収納出来たり、ダイブブレーキが連動して開閉したり、爆弾が投下出来たりと可動部いっぱいのうえに、空母の甲板作業員などの人形が豊富に入ったとても楽しいキットで、コレ一発でモノグラムの虜になった。
それと同時に……私はこのドーントレスで、生まれて初めて「ジオラマ(らしきもの)」を作ったのである!
と言っても何のこたぁない、お菓子の空き箱をひっくり返して、飛行甲板に見立てたバルサ板を貼ってマジックで線を引っ張った程度のものだが、子供心にチョット「大人の趣味」の世界を垣間見た気分になって嬉しかったものだ。
※画像は近年なって入手したモノグラム(米本国版)のパッケージを使用したもので、文中で触れているバンダイ・モノグラム版とはやや異なります。

「世の中に、こんなスゴイ飛行機のプラモデルがあったのか!」
そんなふうにイタク感動したのがこのカーチスP40Eウォーホークだった。
たぶん中学生の頃だったと思う。
キットの塗装指定は大戦中に中国で奮戦した義勇軍“フライングタイガース”の、機首にサメの顔をあしらった「シャークマウス」というやつで、これがまたカッコヨカッタ。
シャークマウスがイチバン似合う機体はウォーホークである(きっぱり)。
やはりテレビ放映された20世紀フォックスの映画『トラ!トラ!トラ!』で盛大にブッ壊れたり、嘘か誠か零戦と軽快な空中戦を演じたりしていたのを目にして、すっかりこの機体にヤラレてしまい、ちょうどそんな頃に出会ったキットなものだから、本当に大喜びで買って帰った。
実際に作ってみると、主脚が90度回転して引き込んだり、ラダーやフラップが動いたりするのも以前作ったモノグラムのようで嬉しかったのだが、何と言ってもその機体表面の風合いが……何と表現すればいいのか、とにかくヒコーキというのは、薄い鉄板を組み合わせて、リベットやボルトで留めて組み立てられている……というのを実感として、手触りで体感出来るというのか、ジュラルミン(?)の外板が組み合わさっている部分が一段浮いて分厚くなったように表現されていて、ホンモノのヒコーキは、よくあるプラモデルみたいに板の継ぎ目にスジボリがあるんじゃないんだよ、こんなふうになっているんだヨと教えられたというか……まァこれはあくまでも「模型としての表現」であって、実機があんなにオーバーなデコボコの表面をしているかどうかは別として、とにかくその説得力たるや凄まじいばかりのものがあった。
私は今だに、世界最高の飛行機のプラモデルは? と聞かれれば、即座に「レベル1:32のカーチスP40Eですっ!」と答えることにしている。頑固ナノダ。

『日本沈没』『地獄の黙示録』……。
映画に出てくるイチバンかっこいいヘリと言えばUH-1イロコイス“ヒューイ”である! 少なくとも私のアタマの中ではそうなっていた。
そんなこともあって小学校高学年の、1:35戦車モデルばかり作っていた頃には、戦車と並べられるスケールのイロコイスが欲しくて仕方がなかった。
その昔、レベルのキットはグンゼが代理店になっていて比較的手に入りやすかったが(子供の頃は何でパンティーストッキングのメーカーがプラモデルを売っているのかわからなかった。その後販売元はタカラに移ったのかな?)このイロコイスはなかなか店頭で見かけることがなく、似たような(たぶんレベルのキットをお手本に設計したと思われる。スタイルも内容もかなり似ていた)小さなハセガワ1:72イロコイスを買って乾きを癒していたので、中学生の頃、このレベル1:32を店頭で発見したときは本当に嬉しかった。
ちょっとヤボったいスタイルだったが、機体側面にバルカン砲を搭載した攻撃型では橋を強襲しているシーン、兵員輸送型ではベトナムの水田の上でホバリングしているシーンの何とも“ムーディー”な色彩の箱絵がまた実にかっこよくて、『キングコング』やその後『ニューヨーク1997』にもこんな機体が出てきたものだからもう臨界点!
現在のように1:35のヘリのキットがポコポコ発売されるなんて、想像も出来なかった時代のことであり、このキットも「ソレを持っている」ということ自体が嬉しくて、完成後も架空のストライプを描いたり人形を乗せてみたりと手を加えながら、そうとう長い間楽しませてもらった。

オハズカシイことに実家の冷房設備は古く、井戸水を冷却用に使っていたが、ポンプで汲み上げた水を捨てるのもモッタイナイのでコンクリブロックで池を作って貯めてみたらプールのようになってしまい、夏場は近所の子ども達の社交場のような賑わいだった。
そこで走らせて遊ぶために買ってきた幾多のボート・艦船プラモの中でなぜかいちばん印象に残っているのがこのケネディ魚雷艇である。小学3年生くらいだったろうか。
本来は「PTボート」と呼ばれる船だが、第二次大戦中、その109号艇に若かりし頃のケネディ大統領がキャプテンとして乗り込んでいたことから、PT109艇のプラモはどれも「ケネディ」という製品名が付けられていた。
これまたやはりテレビ放映された海戦ものの映画の影響で買ってきたものだったと思うが、小柄で子供向けの内容のわりにはひとつひとつの部品の成形がシャープで、プラカラーで色をペタペタ塗ってやるとけっこうリアルな仕上がりになってくれて、調子にのってキャビン部分に透明プラ板で風防を追加工作したりした。
水に浮かべて走らせると、やや船首をクイッと持ち上げて走る様がかっこよく、これはぜひ同じシリーズの他のフネも買いそろえようと思ったものの、お店に行ってみるとヤケに地味な消防艇のようなものとか、逆にド派手で成金趣味的なレジャーボートしか売っておらず、仕方なくこのケネディで飽きずに遊んでいたような気がする。
季節限定“夏のトモダチ”みたいな、そんな素朴な憎めないプラモデルだった。
※箱絵の画像は『プラモデルの王国』さんよりご提供いただきました。大感謝!

小学生から中学生時代にかけて、たいして勉強もせずにプラモデルばかり作っていたから、親には叱られっぱなしで、あるときなどは作ったプラモデルを親父に全部捨てられたこともあった。
そんな親父が、12歳の誕生日のプレゼントとして珍しく買ってくれたのがこのニチモの出していた「隼」である。
実は当時から日本の陸軍機にはほとんど興味が無かったのだが、何せものを大切にしないと烈火の如く怒るアノ親父が買ってきてくれたものだ、これは丁寧に作らないとゲンコが飛んでくるゾ……というような一種の強迫観念もあって、かなり慎重に作った。
ところが……組み立てが終わってカーキ系の機体色を塗り、日の丸のデカールを貼って、銀色のハゲチョロ塗装なんぞをしてみたら、これがまた異様にカッコイイのである!
なんだか嬉しくなって、完成と同時に親父に見せに行ったが、戦中派の親父は目を細めてこの小さな飛行機模型をマジマジと見ながら「加藤隼戦闘機隊」だかなんだかの古い唄を口ずさんだ。
親父がプラモデルを買ってくれたのは、後にも先にもこれいっぺんこっきりである。

AIRFIX(エアフィックス)は1:72の可愛らしい飛行機キットをいっぱい出していた英国のメーカーで、確かトミーが輸入代理を行っていたように思うが、ハセガワなどの日本のメーカーから発売されていない機種を選んで買っていた。ダグラスA-26インベーダー攻撃機やデバステイター雷撃機、シュトルヒ連絡機などを買って作った憶えがあるが、いつの間にか単発の戦闘機などの小型機はハセガワやフジミ、双発以上の大型機はエアフィックス……と、自分の中でそんな「棲み分け」が出来ていたように思う。
それら記憶に残る数多くの機体の中から極私的代表選手として、ボリューム満点、可動部満載で楽しかったB-24リベレーター爆撃機を紹介したい。
機体表面が戦車のようにリベットばりばりで、同じ頃レベルが出していたB-24は機種がカゴ型の風防ガラスになっていたのに対し、エアフィックスのにはごっつい銃塔がデンと据えられていて、中学生の頃そのパッケージに迫力負けして買ったように思う。
当時は1:72〜1:76くらいの小さなスケールの軍用車もよく作っていたので、コンクリート張りのベランダに持ち出して飛行場に見立てて写真を撮ったりして楽しんだ。
そのおおげさな表面処理や分厚く成形された細部の部品などは「精密感」とは無縁のたたずまいを見せたが、機体と比べてあまりにも小さい軍用車と組み合わせて撮影してみると、B-24という機体が本来持っている「大きさ」や「重さ」がハッキリと表現されているように思えたものだ。
(photo11コンソリ)

一時期、クルマもよく作った。「スーパーカー・ブーム」の頃である。
とは言えブームに乗っかったわけではなく、友達がカウンタックだのフェラーリだの作っているのを見てもぜんぜん面白くなかった。
要するにスーパーカーってのは高級感ありすぎ、カッコよすぎで、どちらかというと外国のコメディ映画に出てくる「金持ちの道楽息子のオモチャ」にしか見えなかったのだ。
どうせ作るなら、他のものが作りたいなァ……そんなことを考えつつ店頭で見つけて買ったのがオータキのダッジ・チャレンジャーラリーである。
もっと小さい頃には、今となってはメーカー不詳のヨーロッパ系のクルマのキットを知り合いのオニイサンに作ってもらったりしていたし、今度は自分で作ってみよう、という気概もあったのかも知れない。
またこの頃、テレビで映画『バニシングポイント』が放映されて、それを観た影響も強かったのだろう。
……なんかオレ、そんなんばっかしだね(^^;)
このクルマ、何だか「悪ぶっている」というか「不良中年」的な風情がヨカッタ。
オオタキのキットは質実剛健な作風で、部品が少ないわりにはドアやボンネットが開閉して、飾っていても飽きが来なかった。同じシリーズでムスタング・マッハIやサンダーバードなども作った憶えがある。
スプレー塗装はやったことないし、フデ塗りでボディを綺麗に仕上げる自信がなく、キットのプラスチック成形色のままにして布で磨き上げ、細かい部分だけを恐る恐る塗装して仕上げたのを覚えている。
時にはスーパーカーも作ってみようと、同じく1:24のランチャストラトス(メーカーはどこだったのだろう? グンゼあたりだったと思うが忘れてしまった)を買ってきて、フロントバンパーに網戸のアミを貼ってみたり、マルイが出していたボデイが真っ黒のカウンタックを知り合いにもらって作ったりもしたが、クルマ関係でいちばん印象に残っているのはやはりこのチャレンジャーである。
今でも時々、数十年ぶりにマジメに作ってみたいと思うことがある。
(文責:宮本 拓 200305)